■ご都合主義・相対主義 / 絶対論理
おやじ 会社では、みんなに理解されて受け入れられなければ、どんなことでも実行に移されないもんだ。
お前たちがよく陥るまちがいは、みんなが「こんなことには自分は絶対についていけないな」と思ってしまうような強引なビジョンを示すことだよ。それで人に「ついて来い」と言うのは傲慢だろう。
若造 「ビジョンを示せ」というから示したら、「強引だ」「傲慢だ」と非難されるんだよね。いったいどうすりゃいいの?
おやじ 物事には手順というものがあるだろう。一足飛びに変化するはずがないんだから、ステップを踏んで進めないと改革は絵空事に過ぎないと言うんだ。
若造 スピードは考えないんだね。でも肝心なのはスピードだよ。
おやじ 心配しなくても、そんなに早く世の中は動かないって。人生は長い。チャンスは一度じゃないんだよ。
若造 旧日本人は農耕民族だから季節が巡ればまたチャンスが巡ってくると思ってるんだね。それは経済センスの違いとしか言いようがない。時間が経過すれば、もう元には戻れなくなる閾値を越えちゃうこともあるんだけど。まあ、説明しても無理かな……。
おやじ それからお前たちは、物事にあまりにも「白黒」をはっきりつけすぎるということもあるな。それでは、どんなにあがいても物事は通らないぞ。
若造 物事の本質を判断して自分の態度を決定するのであれば、白黒をはっきりしないわけにはいかないんだよ。
旧日本人が何事に対しても自分の意見をあいまいにして、はっきりとしたことを言わないのはなぜかというと、ホントのところは自分自身が確固たる意見を持ってないからなんだ。それは当然だよ、価値観がないのに判断ができるはずがないんだから。じゃあどうやって旧日本人は態度を決定してきたかというと、周りの意見に自然に合わせていけばいいと思ってるんだ。「他人がよいと言っているものは何でもいい」と思い込めるから、あれだけテレビでグルメ番組やファッション番組が流行ってるんだね。
だから旧日本人は大元の本質を見極めたうえで判断していない。いつも仲間の意見の大勢に従って自前の価値観を磨かずにすませているんだ。だけどこれを続けていると、ものごとの本質的をはっきりと捉えて比較しようとする分析的思考力は発達しないよね。何でも物事を混同してしまうので、論理的な議論がさっぱりできない。
これがぼくたちが、旧日本人上司ときちんと話し合うことができない原因のひとつだよ。
おやじ、ちょっと待てよ。ものの値打ちをとらえるかどうかは別にして、白黒はっきりさせると現実的に困ることが出てくるんだよ。
利害対立があるときに、「こちらは正しい、こちら正しくない」と言ってしまうと、負けた方のメンツが立たないのでケンカが収まらないだろう。対立をうまく収めるためには、目上の調停者がいるときには「喧嘩両成敗」か「三方一両損」、調停者がいない場合には「玉虫色」にして事を収めるのは正しいんだ。そうしなければ血を見ることになってみんな迷惑するんだ。そういう知恵がないのかなぁ、お前たちには。
若造 旧日本人はどうして、自分が「正しい」と信じているのに「三方一両損」で損をする調停を受けて素直に引き込めるのか不思議だよね。相手がまちがっているのなら、正々堂々と情報公開して争うべきじゃない。
なぜそれができないのか? しっかりした価値観がなくて、周りの意見にもとづいて自分の立場を決めることに馴れきっているから、自分自身が寄りかかっている原理原則をきちんととらえていない。自分をよく知らないんだから勝つ自信が持てない。勝つ自信がないのであれば、白黒をはっきりさせずに痛み分けにするしかないということになるね。
だけどそれは、ぼくらにはまったく理不尽な解決方法にしか見えない。