社会観■
■会社中心=閉鎖系社会観 / 開放系社会観
若造 そもそもね、どうして休日出勤したり、サービス残業したり、ひたすら会社のために尽くさなきゃいけないのか、その辺どう思ってるのか教えてほしいんだけど?
おやじ それはお前、人間は地に足をつけて生きていかなければならないんだ。お前のように辛抱がないのが人間一番いけないということだよ。
若造 えぇっ、どういうこと?
おやじ サラリーマンの本音としては、会社以外で生きていくことはできないわけだから、会社の中で生きるには、つらいことや苦しいことも多少はあるだろう。しかしそれに耐えてさえいれば、会社は必ず社員を守ってくれるはずなんだ。
会社はわれわれに社宅を提供してくれたし、子供の入学祝をくれたし、運動会のような娯楽も提供してくれたし、予防接種は会社の病院に受けに行っただろう。会社を信じなくて、いったい何を信じろというんだ。会社にいさせてもらってこそ、サラリーマンという存在があるんだ。だから生きていくためには「我慢」が一番大事なんだ。
若造 つまり「会社はサラリーマンにとっての、世界のすべて」だというわけだね。だけどぼくは、会社の外にも世界が広がっているように思うけどな。「どちらかを取れ」と迫られたら、ぼくだったら広い世界のほうを取るけどね。
だって、会社がつぶれちゃったらどうするんだよ?
おやじ だから、会社はつぶしていけないということなんだ。
若造 もう実際には、つぶれ始めているじゃない。
おやじ 他の会社はいいんだ、うちだけつぶれなければ。
若造 どうしてそう都合よく考えられるのかな。
「とにかく会社が存続してさえいれば、どんなに上司に無理なことを言われても黙って耐えるべきだ」という哲学はよくわかったよ。でもそれって、「会社のためには何をしてもいい」という話だよね。会社を守るためなら、極端に言うと「犯罪を犯してもかまわない」と思う瞬間があるということだよ。
ぼくから見ていると、旧日本人たちは、むしろ喜んで会社が押しつける無理難題に縛られているような気がするな。「会社にこき使ってほしい」と思ってるみたいだね。その方が楽なんじゃないの? そもそも自分でやるべきことを考えず、誰かから押しつけてもられば、自分でものを考える必要がない。会社に言われた通りの事をしていれば、つらくても会社に文句を言えるし、失敗しても自分が決めた目標じゃないんだからたいして敗北感を味わわずにすむし。
そう考えているから単純に、「地位が上の者の言うことは常に正しい。まちがわない」と盲信できるんだろうね。そして威張りながら行進を続けて、レミングのようにみんなで海にはまってしまう。ほとんど集団自殺だよな。どうして会社の存在に一点も疑問を感じないのかなあ。
おやじ しかし上から言われたことをきちんとやってさえれいれば、責任は果たせたことになるだろう。なにが悪いんだ?
若造 ぼくらはそうは考えないね。ぼくらはいつも「自分から自分の外部に、働きかけなきゃいけない」と思っている。別にだれが助けてくれるわけでもないんだし。
だから、「他人から押しつけられたことを我慢しよう」なんて考えていないし、仕事は自分でつくるものなんだ。自分で目標を決めて、コツコツと目標達成に挑戦していくには、自分が責任をもってできる仕事の範囲がわかっていなければならない。楽しいけれど、なかなかきついことなんだよ。だって自分自身の限界にプライドを持って挑戦し続けるわけだから。そういう仕事から旧日本人は逃げてるよね。そこがまず会社にぶら下がっている第一のポイントだな。