「売り手責任」…悪意はないのですが
飯坂 次に、話は売り手責任の問題に入ってきます。
金融工学が悪用された最大の原因は、保険の機能を喪失した金融商品が市中に流通することをとがめようとしない無責任な放任主義にある。
この辺は金融当局あるいは格付け機関に対する批判でしょうか。
運営者 さっきまでは研究者を非難していたけれど、ここからは金融当局や売り手側の問題になるわけですね。一体どちらが本当に悪いんだろう。
一般論としては、買い手と売り手がともに満足する売買取引ならば第三者は口をはさむべきではない。だがそれがもし保険モドキの大量売買だとすれば、黙っているべきではない。
うーん、今回の金融危機の問題は、オプションの保険機能とは関係ないわけだし・・・。
この人、文系じゃないの? この発想は文系の考え方だろう。
飯坂 黙っているべきではない。
遅かれ早かれ問題が起こり、第三者にまで迷惑をかけることは必至だからである。
運営者 じゃあ止めろよ。早く言ってよこれを、問題がこんなに大きくなる前に。
飯坂 現在、金融商品の売買は個人レベルから法人レベルまで、基本的に買い手側の自己責任が原則で、売り手側の責任はほとんど問われない。
と書かれています。マーケットの上下のリスクに関してはそうでしょう。ただし、個人販売を行うリテール商品については、ガチガチに売り手責任が追及されていますけどね。うるさいくらいに販売者の資格や、開示情報について指導されています。目論見書などは、紙に印刷にして配るように政省令で決められていますから。そのような売り手責任が求められていないところは、ほとんどないと思います。ケイマン諸島などのタックスヘイブンでも遅くとも、90年代後半~2000年前後には投資募集に関する法整備がなされています。だからこれがどういう意味なのかは、僕にはちょっとよくわかりません。
運営者 なるほどー。
飯坂 もしも同じことが食品や電気製品、建物などにも適用されていたらと考えてみてほしい。食品に含まれる農薬の有無は見ただけではわからないし、建物の手抜き工事も消費者からは判断不能である。
もしも責任を買い手に負わせるようなルールがまかり通るのならば、悪意を持った売り手がおもしろいようにもうけられるような恐ろしい社会になることは誰でも予想できる。
実際、大量消費社会に到達してすぐのころは、そうした状況があったのかもしれませんね。しかし最近はすくなくともPL法もあり、アメリカにおいてはPL法に基づいた懲罰的賠償制度もあります。おもしろいようにもうけられるような怖ろしい社会にはなっていないと思います。
複雑な処理を施した金融商品も同様であり、買い手の視点から商品の裏にあるかもしれない悪意までを見抜くことは不可能である。
少なくとも格付けをとっている金融商品には、「悪意」は実際ないんですけどね。「不作為」と言われても仕方のないケースはあるかもしれませんが。
無格付けのファンドであれば、マドフ事件のような例もありますけど。ちょっと古いところでは98年のプリンストン債事件とか。でもこういった「悪意」のケースは、まともな金融機関が相手にする商品ではごく稀だと思いますよ。