交通法規はフィクションである
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 彼らにしてみれば、アヘン戦争以来蹂躙され続けてきたわけですから……。
運営者 それが言い訳なわけですよ。「貸借関係」を持ちだした言い訳です。しかしそれよりも、彼らは本来「契約を守る必要がない」と認識しているわけであって、そっちの方が重要なんです。
飯坂 なるほど。
運営者 それで契約の代わりに何を守るのかというと、自分たちのルールなんです。そっちの方が優先です。
飯坂 それは日本企業でもそうですな。
運営者 自分の会社の社内ルールの方が、憲法よりも優先されるんです。「それが当然である」と確信している。これはアジア的価値観ですよ。
ある特殊法人に取材をしたら、広報担当者が「ゲラを見せろ」というわけですよ。「5年間広報担当やっていて、ずっとそうやってきた」っていうんですね。それで私が怒って、「憲法に表現の自由が保証してあるのに、憲法より上位の決め事があるのか?」と聞いたら、「就業規則に書いてある」って言うんですよね(爆)。
飯坂 それは彼の中では全く正しいんでしょうね。よくできた話だ。
運営者 傑作なんですけどね、でも哀しいことに事実なんですよ(笑)。
飯坂 遵法精神ということで言うと、戦前の治安維持法みたいな法律についても、それでもまあ「お上のいうことには従う」という意識が国民の間にあったんですよ。
ところが戦後になって無視できないのは、交通違反です。免許取得者は、たいがい犯罪者ですからね。それで、1つ交通違反すれば、別に2つ違反しようと変わらないでしょう。
運営者 なるほど。歯止めがなくなっちゃうと。
飯坂 まっさらな身体であれば、法を破るなど考えられないことでしょうが。
運営者 1回汚れてしまえば……。
飯坂 そうそう。交通違反で1度警察の厄介になってしまえば、「まあこんなもんね」と思ってしまうでしょう。
運営者 それがずるずると、すべての法律を破ってもよいというところにいかない歯止めがあるかどうかという問題なんですよ。だって、交通違反なんてのはしない人の方がおかしいわけですから。「私は1度も交通違反をしたことがありません」という人間がいたら、「ちょっとつきあいたくはないな」と思いますね。だって時速40キロで運転できますか?
飯坂 そうですね。
運営者 ということは、あの交通法規というのは、実は内輪のルールであって、「決して超えてはならない一線」というのは実はその先にあるということなんですよ。そこを知っているというのは大切なことです。みんな標識+10キロ前後なら捕まらないと知ってるじゃないですか。
世の中にはフィクションというものがあって、それをフィクションと知りつつ、使った方が便利だから、みんな知ってて騙されてやっているということもあるわけです。交通ルールというのはまさにそのフィクションでしょう。けどそこから先にもうひとつ線があるというのが、これが「リアルな線」なんです。