政治力とは、圧力をかけて法を曲げること
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 もうひとつ悪いのは税法だよね。ちゃんと法律で決まっているはずなのに、租税特別措置法を使ってもうひとつ別の線を作っている。
運営者 役所は、「あれは国会議員の圧力で作られたものだ」と言ってますね。
飯坂 圧力なんですよ。「圧力をかけて法を曲げるというのが政治力である」というふうになってしまった。その結果として、ムネヲみたいな変な人がたくさん出てくるんでしょう。
「政治とは困っている人を助けるものだ」と最近言った人がいたけど、これは「既得権にぶらさがっていて、ぶらさがりにくくなってきたから困っている人」のことだよね。
日本は、みんなが利己的になってしまった、「自分さえよければいい」と考えているということと、法律なんか破ってもいいんだというその両輪で、おかしくなってしまったということなんですよね。
運営者 そうしますとね、法律を破ることがすなわち政治力であるとするならば、一体代議士の本来の役割って何なんだということですよ。
僕は、駆け出しのころに、ある二世議員に正面から聞いたことがあるんですよ、「国会議員の力って、何なんですか?」って。ムネヲがお父さんの秘書をしていた某代議士なんですけどね(笑)。でも彼は答えませんでしたね。でも答えを知らないわけではなかったでしょう。口に出せないようなことが、政治家が行使している力だったからなんでしょうね。三権分立の理念に基づいた本来の役割は、政治家の仕事としては本筋ではないわけです。
国会議員ってね、これもホントは認めたくはないんだけど、塀の上を歩く人種ですよ。塀の上を下に落ちないように上手に歩いて、総理大臣の椅子を目指す。法律を作る国会議員こそ、「いかに悪いことをしていても、塀の中に落ちさえしなければ正しいんだ」という意識を持っているはずだと思うんです。
それで、彼らは国会議員である限りは国会議員なんです。だけど大臣や副大臣として内閣に入ったり各役所に降りていった場合は、行政の人間になるわけです。立法府と行政府は役割が違うんだから、独立していなければおかしなことになってしまいます。ところがこの辺が、自民党の中であいまいになっている。法律を議会に提出する前に自民党の部会の中でOKをもらわなければならないわけですから。
飯坂 田中角栄の前と後とでは様子がかなり違うと思うんですよね。佐藤栄作のころまでは、日本は開発独裁国家だったので、自民党の中でも官僚出身者が優勢だった。それはそれでよかったんだと思うんです。国家としてどうやって復興・発展していくかということに政治力を結集できた。
ところが角栄以後は、日本国内の分配をどうするかという非常に内向きな話になってしまった。ODAだって一見国際的に見えるが、実はどの政治家が口をきいてどの日本企業が受注するかにしか関心はない。
運営者 田中角栄は。今の自民党のシステムの完成者でしょう。それで何が困ったことになっているのかと言うと、国会議員が考えなければならない本来のことは、国家全体の利益ではないんでしょうかねえ。