飽食の時代を引っ張るのは「資本の論理」
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 それはね、戦後の廃虚から立ち上がった人たちは、テーゼとして「よりよい暮らし」を追及していったわけだけど、結局、「みんなが飢える心配のない暮らしをすること」というのは、社会主義的な目標なんですよ。それでそれは既に達成しちゃったんです。だから目標がないの。
運営者 だけど、「飢える心配のない暮らし」の先がまだまだあるでしょう。
飯坂 達成して、それで満足しちゃった後のことは、日本人にはプログラムされていなかったということなんでしょうね。
運営者 なるほどね。そうすると、食べることに満足したその後の目標というのは、どこから出てくるものなんでしょうね。
飯坂 「資本」でしょうね。資本の論理は飽くことを知りませんから。
運営者 なるほどね! 資本にはパワーがありますからね。そりゃすごい。その通り!
飯坂 ところが、日本では資本主義が機能していないから、目標が見つからないんです。
運営者 なぜ「日本の資本」はパワーが弱いんですか。日本の資本がんばれ! もし資本にパワーがあるなら、それが、社会変革の原動力になっても、おかしくないわけですから。
飯坂 だってね、カイシャに居座っている経営者に、「どうして辞めないのか?」と聞いたら、「私にも家族がありますから」と答えるというのは……、それは社会主義以外の何でもないでしょう。経営者が辞めたあと食べていくことができないのでは、資本家ではないということです。経営者が資本家になれなくって、だれが資本家になれるんでしょうか?
貯金の利子で食べていこうとする人間(=金利生活者)しかいないのでは、資本主義ではないですよね。
運営者 そりゃ、経営者が資本家になった方が、資本の有効利用ができるというものですよね。
そうするとそれがないということは、日本の現在の国会議員のほとんどに国会議員としての資質が欠けているのと同じように、経営者のほとんどにも経営者の資質が欠けているということになりますね。
飯坂 経営者の給料が安いということもありますが、経営者なんだったら「クビになろうが路頭に迷おうが、無一文になっても、また一から始めて、事業をでっかくする」という気概がないと駄目ですよ。