己の存在の限界を知るべし
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 だから、ムネヲは不幸ですよね。あんなにでっかい声を張り上げられるんだったら、アメリカに行って頑張こいという気がしますが。「それでCIAにやられて死んでしまったら、泣いてやるよ」と、そういう話だな。
結局、弱いものしか相手に回せないわけでしょう。それでは国士とは言えませんな。
運営者 「名を惜しめ」ということですね。
飯坂 そこまで言っていなくて、彼の場合は食べていくのが精いっぱいだったから。そこは同情できるんだけど、とりあえずは押しも押されもしない存在になったんだから、ある時点からは切り換えて欲しいよね。
運営者 永田町では押しも押されもしない存在になった。集金力もできた。外務省には圧力が利く。北海道でもずっと比例の1位と。
だけど、それでは粒が小さすぎ。それでは歴史に名を残せない。名を残す必要もないけれど、「自分は一体なんのために生きたのか」と死ぬ前に人生を振り返ったときに空しくなりませんかね。どうしてそういう発想ができないのかな。不思議だな。
少なくとも僕は絶対に彼を認めませんよ。彼のような考え方の人が、国会議員であるということを。
そして僕みたいな考え方をする人間が、これからどれだけ増えてくるかの問題でしょうね。
飯坂 それはまあ彼の、存在の限界なのかもね。豊臣秀吉だって、天下を取る前までは素晴らしかった。だけど天下を取った後はいない方がよかった。
運営者 なるほど、秀吉は、天下を取るためだけに生まれてきた人なんですな。
それにしても、国会議員にしても、官僚にしても「国民の税金を一銭たりともむだに使ったら。それは罪なんだ」という意識がないのは全くの驚きですね。
飯坂 たぶん逆に考えているでしょうね。「おれの縄張りで商売させてやってるんだからショバ代持ってくるのは当然だ」ってね。
倫理観に話を戻すとね、僕は「日本人に倫理観があった」という一般認識は、非常に幸せだった時代の「過渡的な」特性だったと思うんです。その古き良き時代にはもう戻れない。とすると、どうすればいいのか真剣に考えなければならないでしょう。
ところが、そういう過去50年間続いてきた外的な環境も、我々自身の内的な環境も、「永久に続くものだ」と思い込んでいる人が少なくない。そこをまず認識しなければならないでしょう。
運営者 なるほど。人間も世の中も変化していくものなのだということを考えていない人が多いんでしょうね。これは必然ですがね。
それは、自分が満足できる程度の生活環境が実現されたからでしょうかね。だから「変わりたくない」と思ってしまってるのかな。