自立を忘れた「一億総中流」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 なるほど。人間も世の中も変化していくものなのだということを考えていない人が多いんでしょうね。これは必然ですがね。
それは、自分が満足できる程度の生活環境が実現されたからでしょうかね。だから「変わりたくない」と思ってしまってるのかな。
飯坂 それと、過渡的な状況が30年~50年もの間続いてしまったので、それ以前のことを知っている人がいなくなってしまいましたからね。例えば戦前の日本にはちゃんとした資本主義があったわけだし、中産階級というのが本当の中産階級だったし……。
運営者 ブルジョワですな。
飯坂 本当の中産階級というのは、インテリだったはずなんですよ。中産階級というのはせいぜい多くても、人口の上位20%以上くらいなものでしょう。
ところが戦後は、いつの間にか一億総中流ということになってしまった。そんなことはあり得ないわけですよ。
運営者 それは、本当のブルジョワであれば、トイレットペーパーは三越の外商が持ってくるわけだから、スーパーで買ってさげて帰らなくてもいいわけですよ。
ところが現代の中流階級は、トイレットペーパーは買って帰るし、シャツも英國屋で仕立てるのではなく、ユニクロで買うわけです。
飯坂 おそらく高度経済成長期、大量生産時代になったので、マーケティング上の要請として、「これを買えばアナタも中流ですよ」というマーケティングをしたからこうなったんでしょう。-個人が中流階級なのかどうかということは、物の所有によってしか判断されなくて、その購入がどのような「精神的な位置づけ」をされていたかということには重きを置かれなかったわけです。そうした精神性が欠如したままで、日本人は全員が豊かになってしまった。
もう一つ不幸だったのは、中産階級の特質たるべきインテリの志向性が時代的にサヨクに偏ってしまった。マスコミなんかはいまだにそこから抜け出していません。70年安保闘争敗北と連合赤軍事件などによって国民はサヨクから離れていった。それと同時にインテリ性も置いてきてしまったわけです。そうして80年代に入って田中康夫や横浜銀蝿やファミコンが登場して「反知性」の消費バブル文化へと突き進んでいったのだと思います。
運営者 それが豊かだと思える精神性が、旧日本的なものなんですけどね。
飯坂 「一億総中流」ということだよね。
運営者 だから、回復すべきは「精神の高貴さ」ということなんですよ。高貴な精神。
飯坂 すごいこと言ってますね。そこまでいかなくても、少なくとも「自立している」かどうかということ。身は勤め人であっても、精神的には自立していれば、それでいいんです。
運営者 それが一番バランスがとれるはずですよね。