「明治維新」推進のロジックは外国製だった?
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 結局僕は、文化が人間の意識をつくるし、変えるし、そうした人の意識が世の中をつくっていく原動力になると思っているから、この仕事をやっているわけなんです。
だから今回の「新日本人」というコンセプトはストレートなんですよ。しかし、その真意が理解できない人は数多い……。
飯坂 文化という観点で考えるとするならば、「日本の文化は京都奈良にある」と思っている人も多いけど、それは間違いで、日本の精神的なルーツは田舎にあります。旧日本人の意識というのは、田舎者の考え方なんですよ。それを旧日本人全員が認識して、「自分たちは田舎者の意識なんだー」と自覚するべきです。
運営者 田舎者の意識というのは、憶病で、自信がなくて、その反動で威張り散らす権威主義者で、ずるくて、何かに頼らないと自分のアイデンティティーを保っていけない、そういう一連の過程の中で論理的思考力を失っていく、そういう人たちです。
「われわれはそういう人間であり、そういう文化しか培っていないんだ」、と認識するべきですね。
飯坂 江戸時代以前の殿様が、天皇に変わっただけですよ。
運営者 あのね、これは親しい友人に聞いた話なんだけれど、明治維新というのは実は日本人が自主的に成し遂げたものではないんじゃないかという考え方があるんですよ。
いや、断行したのは日本人自身なんだけれど、重要な点はその明治維新を推し進めるアイディアとか体制を変革するための文化的な動機づけというのが、外国から与えられたのではないかということなんです。
坂本竜馬とはいったい何だったのか。結果としては彼はイギリスのエージェントではなかったのかということがあります。日本最初の株式会社である亀山社中を作るカネは一体だれが出したのか、なぜ土佐の山出しの田舎者である彼が万国公法を知っていたのか、自分でそんなこと考えつくわけがないわけであって、それを教えたのはイギリス人、グラバーであったということ……。
飯坂 それは一種の陰謀史観だと思うな。グラバーが竜馬をエージェントとして使おうと企図したことはおそらくあったかもしれない。フランスは普仏戦争にまきこまれつつあったわけで、「日本はイギリスにくれてやろう」と思った。フランスが負けてくれたわけです。
だけど、究極のところで日本を日本たらしめたのは、江戸城を無血開城した勝海舟ですよ。あそこで本格的な内戦をやっていたら本当に植民地になってしまっていたでしょう。
運営者 何が言いたいのかというと、その時の日本人は、イギリスから学ぶ姿勢を持っていたということですよ。
坂本竜馬がエージェントだったかどうか別にして、少なくとも知恵をつけてもらったということは、どういう意味があるのかと考えると、井の中の蛙で「自分たちがいちばん偉い」と思っていた封建時代のどうしようもない田舎の片隅に、われわれのような新日本人がいて、「このままでは日本はもたない、では未来を切り開く新しい知恵はいったいどこにあるんだろう」と考えて、「この辺にあるのではないか」ということで長崎に行ったと……。