司馬史観は田舎者の素直さをねじ曲げている
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 その当時においては、「日本国」という概念自体が、新しい概念だったからね。
運営者 なるほどね、だからかえって外国からの知恵が受け入れやすかったのかもしれませんね。それから「日本は弱小で列強は強い」という思い込みがあったから、列強に学ぶことに抵抗がなかったのかもしれない。
飯坂 中国がアヘン戦争で先に負けてくれたので、「中国がかなわないのなら、自分たちもかなわないや」というあきらめもついたし。
運営者 あるいは、「西洋が持っている技術をとりあえず自分たちのものにして、それを揃えてから相手と戦おう」とか、明治維新をやった人たちにはいろいろな理屈が彼らの中にあったんだと思うんです。
しかし最も重要なことは、素直に学ぼうという姿勢があったということですよ。
飯坂 そして、学ぶ素地もそこにあった。識字率が高かったですからね。
運営者 「文字が何か価値のあることを伝える」ということを知っているのと知らないのとでは、学習に対する態度が全然違いますからね。
司馬遼太郎は「この国のかたち」というあいまいなエッセーを残していますが、そういう形で「日本人は自分たちのあり方を自分たちで決めることができる」という先入観を与えるのはよくないと思います。
私は、ありていに言うと、「現代の日本人は自分たちのあり方を自分自身で決めて、コントロールする能力には欠けている」と思うわけです。司馬史観はそこをねじ曲げている。
飯坂 司馬遼太郎は、「西郷隆盛が、"明治維新は坂本竜馬が一人でやった"と言った」と書いていますが、それはやはり嘘ですよね。だけど、イギリスとフランスの代理戦争が日本で勃発しなかったというのも事実ですよ。
運営者 明治の人々は、うまくイギリスとフランスの対立に乗じて日本の近代化を図ることに成功したということでしょう。維新後も、どの国の制度であっても、優れたものであり、かつ自分たちが利用でしやすいものを輸入している。大久保がわざわざ出かけていったんですからね。見る目があったし、合理的でした。たいしたものですよ。だから、田舎者でありながらも、素直に学んでいたんです。
そういう意味では、日本は今や、G7なんかにも入って、一人前な顔をしてるじゃないですか。でも「やっぱりそれは違うんだよ、俺達は田舎者なんだよ」と思わなきゃ。アメリカ人なんか、威張っているけれど、自分たちを田舎者だと分かっているんだから立派ですよ。
飯坂 旧日本人が「オレは田舎者だ」と開き直ると、ムネヲになっちゃうかならあ。