「自分を殺す」とは役割を果たすこと
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 そいつらは、ロボトミー実験の対象にはなるかもしれないけれど、人類じゃないだろうということです。向上心を持った、文化的に進化すべき人類じゃあないね。
そういう人は悪いけれど、「庶民」という括りに入れるしかないと思うんですよね。
そういう生き方を否定はしませんよ。しかしわれわれを取り巻く環境はどんどん変わっていくんです。そして周囲からの脅威というのは常にあるわけです。だからそれに対応するためには知恵が必要なんです。知恵を得るためには、情報の集積が必要です。そしてそれを高度に分析する必要がある。そうした洗練された機能を国家は備えていなければならないわけです。
それは自衛隊や、消防士のような、自分の命をいざという時には捨てるという約束の仕事があるのと同じような話で、そういう仕事や立場につくつかないは個人の自由です。だけどその立場にない人には、余計なことを言わずに黙っていてほしい、そして手続きを踏んで決められたことには素直に従ってほしい。そういう人たちは、ある種のあきらめを持った存在として、賢いフォロワーの立場になって欲しいわけです。憲法上の権利は保証されてるわけですから。
これは身勝手な官僚のロジックのようですが、それは自分を殺して全体利益のために行う、高貴な精神を持った人間にだけ可能なことだと思うわけです。
「自分を殺す」というのは、ちゃんと定められた役割を果たすと言うこと。
飯坂 ところがどっこい、声がでかければ、この国では何でもできるんです。
運営者 声がでかければ、何でも自分の思うとおりになる。
飯坂 為せば成ると。
運営者 すごい曲解ですけどね。でもきっと旧日本人たちはそう思ってるでしょうね。そういう人たちの間違った社会観を、「もしもしアナタ、それは間違ってるんですよ」と、教えてあげる必要があるでしょうね。そういう仕組みをつくらないといけないんです。
飯坂 要は、社会に寄生している連中が自分で働いてくれればそれで良いんだけれどね。それだけなのになあ。何でそれが出来ないのかなぁ。
別に「飢えて死ね」と言っているわけではなくて、「自分が働いて食べていってね」と言ってるだけじゃない。
運営者 旧日本人たちは、働いてるつもりなんですよ、一応。
オフィスの中での意味のない仕事や、土木工事に従事して。それがたとえ道路を掘り返して、また埋めるだけの仕事であってもね。