「故郷」は惜しみなく奪う
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 故郷というのは、田舎ですよ。ずっとそこで代々暮らしていたというところなんです。
運営者 そうか、故郷というのは旧日本人のルーツだから、捨てるわけにもいかないんだ。
つまり旧日本人的な資質を守り続けるためには、是が非でも田舎を守り必要があるし、そのためには公共事業を続ける必要がある、赤字国債も出し続ける必要があるということなんですな。
公共事業と、悪平等を愛する旧日本人の精神というのは、田舎を媒介にして不即不離の関係にあるということなんでしょう。
飯坂 そうですよ。だからどんな田舎であっても医療がなければならないし、水道も新聞も届かなければならないんです。そうでないと、そこを故郷にしている人が哀しむだろう。そういう人がどこにも行き場がなくなるようなことをしてはならないわけなんです。
運営者 それで思い出した。旧日本人がゆるがせしない対人観の基本というのは、「相手の存在を絶対に否定しない、相手がそこにいていいんだということを、まず認めてやる」ということなんです。
「オレはお前の存在を無条件で認める。だからお前も、オレが何をやっていても文句を言うな。俺たちは認め合ってるんだから、お互いのメンツは潰さない。それが仁義だ」という感じですね。
だから、新潟県の山の中の十戸しかない集落に、何十億円もかけてトンネルを掘ってやるという話が美談になるわけです。経済効果は考えない。それよりも、その相手の存在を認めて守ってやっているということが、大切なんです。そうやってみんながやっと安心できるということなんでしょうね。
飯坂 そうしてやってきた公共事業で落ちた来た金で、居間に置く32型のプラズマテレビを買ったり、息子や娘に携帯電話を持たせたりしているということですよ。
運営者 そうやって消費を喚起して、日本の企業がやっとこさ生きているのであれば、それはやっぱりやめたほうがいいでしょう。国家の身の丈に合った産業でなければならないわけであって、田舎を食い物にしていてもしょうがないと思うけどな。
田舎に自立心を植え付けるにはどうしたらいいのかな。
飯坂 それよりも、都会と田舎の循環を、もう1回作り出すというのがいいのでは。都会に出たい人は出られるようにするし、都会がいやになった人は田舎に戻れるようにすればよいと思いますがね。