善人でいられるのはなぜかを考えろ!
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 「善人、善人」と言って「善人である風潮」の中に安住しているということが問題なんです。
「人に迷惑をかけずに生きられればいいんだ」という考え方が、結局は悪人を産み出しているんですよ。そのひったくり犯みたいにもしかしたら才覚があるかもしれないにもかかわらず、悪人稼業に身を落とすに至ったのは、彼が旧日本人だったからでしょう。
どうしてかと言うと、彼がシステム全体にぶら下がって過剰利得を受けていたから、徐々に寄生していた全体のパイが縮小していったときに、過剰利得にありつけなくなってしまった。そして彼はぶら下がり続けることができずに、はじき出されてしまったからですよ。もしも彼が、働いてちゃんと付加価値をつけて利益を生み出しているんだったら、パイの大きさは多少の増減があったとしても縮小することはなくて、彼もひったくり犯になる必要はなかったかもしれないんです。
運営者 なるほどね、それは「普通の市場参加者が、普通に仕事をして普通にやっていれば、全体システムは多くの人間を養うことができるはずだ」ということを前提にすれば、始めて理解できる話ですね。非常に面白いたとえですよ。
飯坂 システムに所属している全員が養えるかどうかは別にして、そこに所属している人間のうちの6割が善人でいられるか、8割が善人でいられるかという問題だということです。
運営者 非常に面白い話だと思います。感覚的な話ですが、僕は「6割が善人でいられる世界」というのは、市場主義の世界で十分に可能だと思います。最大限8割まで行けると思うんですけどね、どうでしょうかね、これ。
飯坂 その割合はわかりませんけどね。
運営者 しかし、市場主義を否定する人間は、「市場主義の世界」=即ち生馬の目を抜く世界であり、弱者切り捨ての世界、貧富の差がどんどん広がっていく砂漠のような世界である。そんな世界には善人など到底住むことはできない! という調子なんですけどね。
飯坂 まあその人が、生馬の目を抜かずに済んでいるというのは、善人としてシステムにぶら下がって、過剰利得を得ているということですな。
運営者 まったくですな。世の中ぼーっとして生きていけるはずがないじゃないですか。
飯坂 マスオさんやフジ三太郎では生きていけない世界なんですよ。
運営者 そうですよね。フジ三太郎や植木等というのは・・・。