植木等が先導した「平等主義」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 そうだな、だけど植木等が「ニッポン無責任野郎」で演じた無責任サラリーマン(平均=たいら・ひとし)というのは、実は結構エリートだったんじゃないかと思うんですよ。「ガッコー出てから15年~」と唄うじゃないですか。だけどその学校というのは大学なわけですよ。大学出てから、丸の内の会社に務められるということは、エリート以外のなんでもないですよね。その「エリートなんだけれど、やっていることは大したことがないんだよ」というのがあの映画のおもしろさなわけですから。
そしてその後20年かかって、日本は、みんなが大学を出て、丸の内の会社に就職できるようになったんです。
飯坂 みんなといっても、せいぜい40%か50%くらいですね。
運営者 十分ですよ、その40%の人間が「俺も仲間だあ」と思って会社にぶら下がり始めた時点で!
飯坂 なるほど。そうか! ぶら下がり人間が10%や20%ぐらいだった時代は、まだよかったわけだ (笑)。
運営者 植木等がやってたのは、あくまでフィクションなんですから、ウソなんですから。ところがそれを見ていた連中は、「なるほど会社というのはああいうところなんだ」と。 (笑)
そして日本の会社は家族主義ですから、それが実際に実現できる環境があったんですよ。高度経済成長期には、社宅を作り、社員に対してあれもやってやるこれもやってやるというのが、経営者にとってこんなに面白いことはないっていう時代があったわけです。だって人に施しをしてやるわけですから。
それによって培われてきた部分というのが、旧日本人のぶら下がり根性の非常に大きな部分を占めているんじゃないんですかね。
飯坂 本当はそういう社会主義的な仕組みというのは、「人間の欲望は増殖しないものである」という前提に立たないととできないものなんですけどね。「ちゃんと社宅に住まわせてやってるだろ、横並びで昇格させてやってるだろ、それでどうして文句を言うんだ」という調子で。
運営者 そのようにして、20年30年かけてできあがってきたのが旧日本人のメンタリティーですからね。これはなかなか頑固ですよ。
意識の入れ替えというのは、なかなか利かないですよ。
飯坂 今は旧日本人人に属している人でも、新日本人になり得る人はいっぱいいると思うんです。動機としても、素質としても。
そういう人をうまくカミングアウトさせて、「新日本人であること」を自覚させて、モチベーションとディレクションを与えて、新日本人的な行動をとらせるようにすればいいんですよ。
「新日本人になる」ということ自体が、インセンティブとして有効になればね、それは可能だと思います。