旧日本人のメンタリティー■
他律性
自律性がなく、周囲の意見に従って自分の態度を決定する。だから思考停止していても不便を感じない
旧日本人は他者への依存心が強く、確固とした目的意識を持たない。「自分の行動の目的は、周囲の状況によって変更すべきものだ」と認識しているので、闘争を好まず、とりあえず周囲の意見の大勢に従う。これを「協調性」と呼び慣わしているが、本来の語義とは違う。事実に基づいた「論理」や「合理性」に代わって、旧日本人の価値判断に圧倒的影響を及ぼすのは、周りの「空気」である。その空気は感情によって形成される。旧日本人は感情的動物なのである。
孤立を怖れるので、共同体の仲間の振る舞いであれば、どんなに理不尽でも横暴でも見て見ぬ振りをするし、それどころか不正すら許容してまう。旧日本人は、社会的不正義や政治的ボスの利益壟断も、「まあ仕方ないよね」「抵抗してもしようがないよ、そういう仕組みになってるんだから」「長いものには巻かれろだよ」と、ごく自然に認めることができる。これは驚くべきことだ。実権者に対しては従順で、抗議する姿勢を持たないその反面、権威に反旗を翻すものに対しては、冷ややかな一瞥を投げかけるのみである。
旧日本人が他人に嫌々ながら合わせるのは、知恵のなせる技ではなく、弱さゆえであろう。「芯のない協調性」を「美徳である」などとは、思い違いも甚だしい。
このような戦略を採っていれば、自分でものを考える必要がない。思考は旧日本人にとってはマイナスである。従って何事についても、判断を停止しておくのが正しい姿勢なのである。