旧日本人のメンタリティー■
目的意識の欠如
明確な目的意識を持たず、集団への依存心が強いので、自己を超克する努力などしない。飲み屋で同僚とぼやき合って、マイナス方向のエネルギーを蓄積していく
旧日本人がたむろしているカイシャ共同体は、目的志向型組織ではない。「生活の場」である。目的がなければ、儲ける必要もない。ただ単に頑張っている振りをする必要があるだけだ。
実際、旧日本型組織で一番幅を利かせるのは「頑張り」である。「オー・モーレツ!!」にインパクトがある。
まったく逆効果の仕事でも、「なにしろ頑張っていさえすればいい」と思い込める。だから目的合理性を重視する新日本人がプロジェクトの方向性を正そうと、「これは間違った方向にトンネルを掘っている、これじゃあいくら頑張って掘っても意味がないんだ」と、大声で説得を試みたとしても、誰も振り向きはしない。「ひたすら何も考えずにツルハシを振るい続けていれば何とかなる」と信じているのだから絶望的である。
目的のない職場生活は、充実を感じるはずもなくただ疲れるだけなので、日が暮れると赤提灯が恋しくなる。毎日職場の同じ仲間たちと飲みに行けば、つき合い残業をする必要がない。赤提灯で出てくる話は、上司や取引先の悪口やうわさ話といった後ろ向きのものばかり。飽きもせず全く同じ話題を、初めて口にするかのように口にしてカタルシスを得ることができる。
上司は部下に対しておためごかしの「指示」はするが、本気で「育成しよう」などとは思っていない。そういう部分については「部下は勝手に伸びるもの。もはや新人でもないのだし、自主性を重んじる必要がある」と自分に言い訳しているが、単純に指導力の欠如と仕事に対する認識不足の帰結でしかない。「部下育成は自分の責務である」という自覚は全くない。
こうした人物にとって、「実力主義」などという言葉は理解の外にある。違う次元にある。宇宙から降る声を聞くがごときである。部下が育って自分の地位を脅かされては困るのだから、適当に飼い殺して、呑み友だちになってもらっておくにしくはない。
会社に飲み代のツケを回しているケースも少なくない。会社にツケを回せなくなると、サラ金から金を借りてまでして同僚と飲み続けるので、「ばかばかしくなって会社を辞めた」という人に会ったことがある。ここまでくると、職場飲み会が人生の目的になっているような感すらある。実に広がりのない、つまらない目的である。