旧日本人のメンタリティー■
「知」に対する無感覚
「知」の決定的な重要性を意識していない。だから洞察力も判断力も磨けないし、自分で物事を考えようとしない
組織的な判断(稟議)を行い、責任を回避する
企業間競争に打ち勝つためには、ビジネスの仕組みを絶えず改善しなければならない。そのために新しい「知」を自らのものとする必要があるのは自明であるが、旧日本人はむしろこうした新しい「知」を否定してかかる傾向がある。
旧日本人は、たとえどんなに有益な情報であっても、自分が理解できないものは、苦心して頭の中に取り込もうとはしないようだ。自分の価値観を変えるような恐ろしい事物の存在は、否定しておけば悩まされずにすむからだろう。
旧体制側にとって、新しい「知」の輸入は価値観の変化をもたらすので、たいへんな脅威となる。そのため文化鎖国して、外から見ていると滑稽なほど排斥しようとする。どんな環境の下でも新しい価値の創造を行うことの方が、人間にとっては本来的なことだと思う。しかし価値の創造や外部からの取り込みは、現体制にとっては大きな脅威となりうるものなのである。
旧ソ連人並に抑圧的体制に慣れ親しんだ旧日本的組織に、そうした新しい「知」やノウハウを組織的に導入するためには、強力な外的プレッシャーを与える以外にはないというのが現状である。旧日本人は、横文字の権威に弱いというのが、今のところ唯一の救いであるが、それでも外部からの「知」の導入に対する抵抗意識は限りなく強い。