旧日本人のメンタリティー■
親分肌の明るい笑顔
性格は明るく、根拠なく楽観的。だから人に好かれる。それは資源をばらまいて、人にいい顔をするのが仕事だと思っているからである。その資源は自分のモノではないのだが……
旧日本人にも、うらやましいと思える点がなきにしもあらず。根拠のない楽観性を持っていることだ。
米格付け会社のムーディーズが日本国債を格下げの方針で見直すと発表した際、福田康夫官房長官は「(日本経済の)底力を知らないのでは」と述べ、自民党の山崎拓幹事長は「日本の国債を極めて高いものと私どもは考えている」と反論している。もし本気でそう思っているのなら、もう少し景気動向指数が上がってもよさそうなものだが、一般のビジネスマンとの間に認識の乖離があるようだ
最近ではさすがに見かけなくなったが、少し前までは「景気が上向かないのは、メディアが"不況だ"と言い過ぎるからだ」と主張する政治家すら少なくなかった。
現実を把握する力がないのは、悪い話は聞きたくないから耳をふさぎ目をふさいでいるからではないのか。あるいは、思ったことを口にすると現実化するという言霊信仰を持っていて、多少とも悲観的なことは口にしないようにしているのか。いつもニコニコ、彼らの周りに不況の陰はないし、警世的発言は全て否定される。あたかも、世の中に心配事はないかのようである。
バブル崩壊以降、政府も企業も、「必ず景気は回復する」「地価は上がる」と思って問題を先送りし続けてきた。根拠のない楽観論のツケが、今日のリストラであり、首が回らず死に体になった大企業の群れである。にもかかわらず旧日本人は、そこから何も学ばず、楽観的な先延ばしを続けている。「守株」の寓話そのままの愚である。
同様の振る舞いは、自立性も、目的意識もなく、「その日その日を過ごせればいいや」と考えるタイプの無能な上司に見ることができる。彼らは、いい加減だけれど明るい性格で、部下の失敗を見逃して貸しをつくることで相手を自分の味方につけようとする。
本来はこのような人間が組織の上位者になり、何らかの権限を持つのは異常なことなのだが、旧日本人型社会は効率より平等優先なので、みんな仲良く昇進する。かなり以前、富士通が管理職登用試験をやって選抜したところ、NHKが看板情報番組で取材したほどトピックスになったことからも、企業社会は「使えない年功型上司」で満ち溢れていることがわかる。
赤字部門であるにもかかわらず、どう言われても経費を節約しようとせず垂れ流し続ける上司がいる。彼にとってみれば、経費を野放図に使って部下にいい顔をすることで自分の地位の安定を得ているわけで、経費節減は、自分の地位をおおいに脅かすことにつながる。このように旧日本人は、自分が使える資源をばらまいて周囲の関心を集め、自分の地位を保全するという形で人間関係を築いていることが多い。しかしその資源は、自分が稼いでいるのではなくて、他の収益部門が稼いできたものであったり、あるいは純粋な持ち出しであったりする。つまり彼の行動は全体利益に反するのであるが、そういうことはとんと意に介さない。
会社の一部の部課のトップがこのような振る舞いに及んでいるだけであれば、まだ会社は持つかもしれない。しかし全社的にこれをやっていると、過去の蓄積を食いつぶした時点で会社は立ちいかなくなる。そしてこれは多くの日本企業において現実的に起こっていることだと認識しなければならない。