旧日本人のメンタリティー■
即物的
所有という概念に執着する
無形資産の価値を理解しない
旧日本人はモノを持つのが好きだ。会社が成長して一人前になると、経営者はなぜか山の手線の内側、あるいは千代田・中央・港の都心三区に本社ビルを建てたがった。しかし本社ビルは収益を生まない。昨今では背に腹は替えられず、自社ビルの証券化が大流行で、外資系金融機関に収益機会を提供している。右肩上がりの古き良き時代に自社ビルを建てまくったのは、実物資産を所有することに対する信仰があったからではなかろうか。
高度成長期の消費行動を通して、旧日本人は「価値はモノに付随するものであって、見えないものの価値は共有できない」という即物的な考え方に支配されていた。しかし、企業の本来の価値は収益の源泉たる人材、組織風土、経営ノウハウ、ブランド、知的所有権といった無形資産なのだ。その集合体こそ企業の本質である。換金可能なモノに執拗にこだわって、無形の資源の価値を軽視するようでは、既にその会社は競争に敗れていると言ってよいだろう。高度成長期はコンビナートのような装置や、金融機関なら支店の開設がそのまま利益につながった。その残映を見ているのであろう。
個人レベルでもまったく同じことが言える。人の価値は、その人が「何を所有しているか」によって決まるわけではない。その人の心の中身が問題なのである。心の豊かな新日本人は、決して奢侈品の所有にはこだわらない。
所有に固執していては、物事の本質を見失うことになってしまうだろう。