新日本人のメンタリティー■
内的世界の充実を志向
心の豊かさを追求する。豊かな文化(内的世界)を持っている
旧日本人は、自分が属する組織に安直にぶら下がることができる価値を求めている。またブランド物やRV車など、他人と同じ物を所有することで、そのコミュニティの一員であることを確認して初めて安心する。企業はそのために消費される商品を提供し、幻の価値を生み続けている(そうした企業活動が社会的に要請されている)。
これに対して自立志向の強い新日本人は、社会人として独り立ちする過程で、消費社会において提供されている価値のまやかしに気づくだろう。そして猛然と全ての事物に対する疑問が湧き上がって来る。「なにが本当に価値のあるものなのだろうか」という「知」への欲求が生まれる。認識はすべて自分の中に構築されるわけだから、自然と内的世界の充実を志向するようになる。
「自分は何者で、社会において何をすべきなのか」という漠たる問いに対して答えを得るために、外国に出かけて他国の習俗を知り、一流の事物を見て、何が普遍であり、何に価値があるのかを考える。ピカピカの外車を乗り回したりブランド物のコレクションをするよりも、言葉にならぬ物の価値を知ることに深い愉悦をおぼえるのである。
そして実際に目に見えているモノ、いま自分が知っているものより高次の価値があることに思いを巡らせる。その高次の価値を思い描くことができなければ、今までの自分を超克することはできない。「今知っているモノよりも値打ちのあるモノがこの世に存在する」と知るならば、それまでの自分を否定して捨て去ることができる。過去のドグマにしがみつく旧日本人にできないのはこれである。
つまり自分を高めるため、脱皮するためには、価値を知ること、そとて「驚き」がぜひとも必要なのだ。一度それを知ってしまえば、さらにより高い価値の探求を続けるように意識づけられる。「もうこれ以上はいいや」と探求をやめてしまった時点で人間的な成長は止まってしまい、旧日本人のお仲間になってしまうのだ。人間、驚きや感動がなくなったら終わりである。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。終わる日の来ぬ探求もまた楽し。