旧日本人の価値志向性■
保守主義・前例主義・教条主義・拝外主義
「現状を改変してはならない」という信念を持ち、革新的なことは認めようとしない
自分たちと異なる立場は絶対に許容しない。新日本人を敵視する
旧日本人にとっての重要事は「組織内の和を保つこと」なので、いざとなったら、自分たちの組織内の秩序を乱すよりは、社会全体に迷惑をかけるほうがよほど痛みが少ないと考えている。またそれを恥ずかしいこととは感じていない。それは、そのような思考のスタイルになっているので、どうにも仕方のないことなのだ。
旧日本人は集団依存的で、数を頼むから、基本的には衆議一決しなければ判断を下せない。内閣が週二回開いている閣議は「連帯して責任を負う」から、全員一致が原則である。企業にとって株主総会に次ぐ意思決定機関である取締役会もほとんど全会一致である。しかしそれは判断ではなく、責任の所在の分散消散でしかない。
またどんなに「変更した方が正しい」と常識的に思われることでも、一人でも反対者がいる限りは動こうとはしない。反対者が自分の権益を守るために反対していることが明白であってもである。ここには「全体利益は部分の利益よりも重要だ」という共通認識がない。だから頑張って土地を立ち退かなければ、ゴネ得になる。旧日本人の意識には公共概念が欠落しているのだ。
何かを改革するにしても、議論を尽くして全員の認識を変更し、旧来のやり方を変えるまでに大変時間がかかる。あるいはそのような努力は最初から放棄してしまう傾向がある。「基本的には何も変えずに、先祖から受け継いだものをそのまま子孫に受け渡せればいいのだ。何かを足したり引いたり、ましてや赤の他人の意見を容れて変えてしまうなどとんでもない。前例は、理由があってそうなっているのだから、踏襲しておけばまちがいがない」と決めつけている。
事業方針から、認識や価値観、ちょっとした習慣、オフィス家具の配置まで、どんなことでも「変更すること」自体に苦痛を感じるので、「今あるもの」を取りやめにしたり、方向性を変えるのを避けたがる。
長銀には、改革派副頭取がいたが、九三年に長銀総研に転出した。箭内氏は「ここに長銀の体質が集約されている。必要な改革よりも、どちらが無難で自分たちを守ってくれるかが最大の決め手となるのだ」と記している。
守旧派は、自分たちの「いま」の状況を変えずにおいてくれるかもしれないが、その裏で状況はますます悪化している。改革しなければ最終的には自分たちがその報いを受けるという計算は、旧日本人には働かない。
ましてや自分に不利益をもたらすことや、自分のメンツを潰すことはなおさらだ。なぜ国土建設省は、経済的効果の薄いダムを、数十年前の決定通り作りたがるのだろうか。利害関係者の圧力だけによるとも思えない。国土建設省自体のメンツを気にしているため、そしてさらには、国土建設省がその一端を占める日本の統治システム全体の権威を保つためではないだろうか。従来の評価や認識を変えたり、一度決めたことをひっくり返したり、引き返すことは、統治者の無謬性を否定することになるので、統治の根幹をゆるがせにする一大事なのである。
憲法についても同じである。憲法は本来は国民が選び取ったものであり、また状況に応じて民主的なプロセスに従って常に変更する必要のある。「改正」という項目があるにもかかわらず、「金科玉条として保持し続けなければならない」と考えている人々が少なくない(それを党是としている政党まである)のは、実は既存の権威に対する依存性に由来するものではないだろうか。