旧日本人の価値志向性■
ご都合主義・相対主義
何事にも「白黒」をはっきりさせず、自分の態度を表明しない
付和雷同的に「他人がよいと言っているものはいいんだ」と思い込み、物事を実質本意に判断しようとしない
旧日本型組織は、「従業員の総意」の上に成り立っている生活共同体なので、周りの意見が変わったら、成員はそれに従う。また周りの都合に合わせて当初の目的も柔軟に変更する。ご都合主義的姿勢は、「柔軟性」「協調的態度」として評価される。
それゆえ、旧日本人は周囲の意見によって自分の態度を簡単に変更する傾向があり、何事に対しても自分の意見の表出を控えるし、旗幟鮮明にしない。「相対主義こそ世渡りの方法」なのだ。これでは、物事を一つ一つ区分し、比較考量する分析的思考力は、なかなか培われない。なんでも混同して考えようとするので、議論がさっぱり成り立たない。
つまり旧日本人は本質を看取って判断の基準としないのだ。相対的価値判断しかしない彼らが最も頼りとするのは、同じ組織論理の中に生きている仲間の意見である。旧日本人は「他人がよいと言っているものはいいんだ」と思い込める能力に優れている。親和力である。ピラミッド社会の中では、自分の隣の人間の意見にさえ従っておけば、自前の価値観を磨かずにすむというのは、ある意味、幸せなことである。
そういう意識構造なので、メディアによって非常に影響されやすい。つまり洗脳されやすいということだ。大衆消費社会を形成するには絶好の性格といえるだろう。テレビは巧みに、視聴者の仲間としての立場を装うが、実際のところはスポンサーの味方である。テレビを視ている旧日本人は、番組で肯定的に取り上げているものは無条件に受容し、自分にとってほとんど便益のないものですら、「ぜひとも欲しい」と思い込んでしまう。商品やサービスの価値を便宜性とか実質から判断しようとしない。消費者の鑑定眼が甘いと、その市場からは国際的に通用する商品が生まれにくいという弊害もある。
また利害が異なる組織同士がせめぎ合っている時、「白黒はっきりさせない」というのは、お互いのメンツを潰さずに解決を先延ばすための知恵である。調停者がいる場合は「喧嘩両成敗」「三方一両損」、調停者がいない場合は「玉虫色」などと呼ばれる解決法だ。不思議なことに、利害を公開して事の本質を明らかにし、どちらが正しいのか正々堂々と争おうとはしない。これは、自分が依拠している原理がはっきりと見えていないことの反映だろう。自分自身を知らないから、争っても勝てる自信がないのかもしれない。
勝つ自信がなければ、白黒はっきりさせずに、時間切れで痛み分けにするにしくはない。橋本行革を仕掛けた通産省が無傷で残ったり、小泉改革のブレインとなっている財務省が予算的な勝利を収めつつあるのを見るにつけても、旧日本型組織の利害が角つき合わせているところでは、うまく雰囲気を作って勝負を仕掛けた側が、必ず得をするような気がする。
また、自分の利益をはっきり主張しない旧日本人が、雰囲気に呑まれて損をすることは、外交的な失敗にもつながっているようにも思える。サマーズ前財務長官は「日銀に公定歩合を操作するよう圧力をかけよ」と宮沢蔵相を恫喝し、「日本人は俺が言えばパンツまで脱ぐぞ!」とはしゃいでいたと報道されている。さもありなんという感じがする。