旧日本人の価値志向性■
中庸・無為無策を尊ぶ
決して「物事の大元を変更してはならない」と思っている。
前任者の責任を問うような方針変更は「過激」として排除され、「改革」は単なる弥縫策に矮小化される
「構造改革」は難しい。
ちょっとでも深く物事の本質を考えてしまうと、組織のあり方に変更を求めなければならなくなってしまうので、旧日本人はあらゆる思考や判断を停止しておかなければならない。
どこの会社でも改革がテーマにされているが、本質的な改革を唱えた人間は、バカだとみなされるだろう。本質を変えずに、「改革したふりをする競争」をやっているのである。本質的に切り込む改革案、たとえばビジネスユニットの改廃に反対する最大の理由は、「社員の志気に影響する」である。だが、利益が出ていないのに志気だけ旺盛でも全く意味がないということには気がつかない。結局「われわれは仕事をしている振りをしているだけだ」と白状しているようなものである。
どこまで改革するのが「妥当な範囲」であるのかは、旧日本人社員は全員がきちんと認識している。若手からの改革提言募集は、その範囲から外れた横紙破りの人間を選抜して仲間はずれにするプロセスに過ぎない。おっちょこちょい社員だけが引っかかるリトマス試験紙である。
○前任者の怠慢が明らかになるような変更はまずい。
○幹部の権限の縮小や人員の増減があってはならない。
○降格やメンツを潰したと捉えられるようなことがあってはならない
要するに幹部の地位を脅かすことは一切まかりならんというわけだ。これでいったい何が改善できるというのだろうか。問題は経営幹部が幹部としての仕事を全うしていないことにあるのだから。
日本企業は、これまでの仕事を正面から否定しなければ、もはや生き残りさえおぼつかないところまで追いつめられているのだが、旧日本型組織の組織文化では「何もしないこと、あるがままに受け入れること」が是とされているので、自前の改革はほぼ不可能なのである。
強力なリーダーが旧日本人の影響力を排除するか、新日本人的行動原理を明確な形で示し、インセンティブをつけて、旧日本人を徐々に変身させていくしか道はない。