新日本人の価値志向性■
価値を追求する
「価値」って何?
人はなぜ、何のために生きているのか=死生観
本物と偽物の違いが理解できるか=一流とは何か
世の中全体にプラスになるものは何か=公益に立った価値体系
「仕事とは何か」と突き詰めて考えてみると、自分が仕事を通して社会に提供していくのは「価値」にほかならない。そこで新日本人は、限られた資源を有効に使うため、「何に一番価値があるのか、またどのような仕事がいい仕事なのか」を追求するため、常に独自の価値観を構築しようと努力する。とどのつまり、「普遍的価値」を希求する。
「人間とは何か」という命題の回答には、いつまでたってもたどり着けるはずがない。しかしそれを必死の思いで探求していくことで、自分自身に対する理解はどんどん深まるだろう。そして自分自身への理解は、社会という人間集団に対する理解へと広がっていくはずだ。
そのような価値の探求は、たとえ助けてくれる人がいたとしても、他人と手に手をとって行うことはできない。あくまでも各個人がやらなければならない心の旅である。したがって、「自分と他人は全く違う存在である」ということを認識するのは非常に大切なことだ。
そのような自律的な態度と社会認識を持つ人間が集まれば、パートナーシップを組むことができる。「他人と自分は異なる存在であるが、お互いの人格を尊重し、お互いの利益を尊重して協働すれば、新しい価値を生み出すことができる」というパートナーシップの認識は、自立した個人が集まった社会を形成するためには欠くべからざるものである。
金銭については、これを価値の比較、保存、移転、蓄積を行う便利なツールとして捉え、タブー視せず、かといっていたずらに目的とせず、うまくつき合っていく。
そして、「相手が何者であり何を望んでいるか」という対人理解は、「では自分は相手に対して何ができるのか」という、自分自身の可能性の真摯な追求につながっていく。「自分ができることは一体何なのだろうか」という問いを追求し、「何が本物で、何が偽物なのか」を見極め、本当に価値あるものだけを提供しようとする、それがプロの姿勢であり、プロのプロたる所以である。
「人間にとって価値とは何か」という問いは、「人は何のために生きているのか」という哲学に結びつき、「自分なら、何のために死ねるか」という死生観にまで行き着くはずである。それが「家族」に止まっているようでは、「社会人」の資格はない。せいぜい家庭人だ。
このように価値観を追求する余地が無限にあるからこそ、人間として生きていて面白いのだ。