新日本人の仕事観■
自分が自分を養うために働く
「自分の長所を発揮すれば、生きていけるはずだ」と認識している
仕事とは、働くことによって価値を生み出すことである。
働いて作った何かしらのプラスを市場に提供し、それに他人が対価を払って消費する関係があるから仕事は成立している。したがって仕事には対象となる顧客が直接間接に必ず存在する。その顧客との関係こそ、プロが常に意識していなければならないものである。
消費者は、市場において商品やサービスを、価格を含めて選択する権利が保証されていなければならない(本や新聞のように競争制限されている商品は異常な存在である)。
そして社会がまともな状態であれば、各人の能力に基づいて九時から五時まで普通に働いて、顧客が買ってくれるような価値を生産していれば、つまり普通に働いていれば、一家四人を養えるはずである。なぜなら人には得手不得手があり、得意なところを伸ばしていけば必ず人様の役に立つからである。そうでなければ働く気力など起きないし、世の中そういうふうにできていなければおかしい。
ところが現在の日本では、あまりに生産性が低過ぎて、付加価値を生み出していない人が多くなり過ぎてしまった。五〇〇万人いる公務員は些末な業務ばかり多くて、生産性が十分であるとは考えにくい。さらに、税金にぶら下がっている特殊法人や公共事業・公的サービス関係企業、そういったところから仕事をもらっている企業、こうした公共的セクターは、市場競争による配分のルールからはみ出ており、生産性の低いというのは、もはや衆目の一致するところである。
しかし一般企業でも、資本に対するリターン(ROE)の低さから考えると人のことは笑っていられない。「では自分は果たして、給料に見合った仕事をしているのか、それとも会社にぶら下がっているだけなのか」と常に自分に問いかける態度が必要である。もし「自分の仕事の価値が給料に見合っていない」と判断できるならば、それは自分の頑張りが足りないか、組織のマネジメント自体がまちがっているかだが、いずれにしても「組織にも自分にも将来はない」と覚悟を決めなければならない。
自分で自分を養えなければ、われわれには未来はないのだ。旧日本型組織には、そうした穴が空いている。そういう穴に落ち込まないように注意しなければならない。