新日本人の仕事観■
価値志向性
仕事とは、新たな価値の創造活動であって、価値を生まない仕事は真の仕事ではない。
「仕事は自分で作るもの」と思っている。どんな仕事でも自分でおもしろくすることができる
価値のクリエイターとしての苦しさに耐えられる
ゴーン氏は、業績不振に陥っている日産の関係会社の社長交代に関してこう書いている。
--社長であろうと、平社員であろうと、過去にどんな地位に就いていようと、過去にどんな実績を上げていようと、そんなことはまったく関係がない。私自身についても同じことで、日産に価値をもたらすことができなくなれば、そのときが会社を去るときである。会社にどれだけ貢献できるか--それがすべてである--
これ以上付け加えることはない。
もう一つののポイントは、新日本人が生み出そうと苦闘するのが、自分の「オリジナル」の価値であるということだ。
ソニーの出井氏は、こう書いている。
--どんな状況にあっても、ソニーという会社は「新しい情報を発信しつづける」ことが重要です。(この場合、「新しいということがポイントであり、後継機種を出すといったレベルではありません)--
「オリジナリティを忘れずに!」「"オリジナル"を生み出す力を、ぜひ持っていただきたい。ソニーはクリエイターの集団であることを忘れないでください」と出井氏は重ねて強調する。
これはむつかしいことではない。どんな人でも、延々と工夫を積み重ねていけば、必ずや「これはオレにしかできない仕事だぞ」という自負が持てるほどの価値創出ができるようになるはずだ。それこそ多くの人に受け容れられる可能性を持った仕事なのである。
その反対に、誰でもできる月並みな仕事しかしていないのであれば、市場競争下では誰がそんなものに高い値段をつけるだろうか。果たしてデフレの原因は、ここにないだろうか。
既に他人が作ったモノを取ってきて、右から左に流して「一丁上がり」と言うのは、仕事に対する向上心に欠けた旧日本人がやることである。だから彼らは競争を否定したがる。市場競争は、自分の手で価値を創ることができない人間にとっては望ましくないことなのである。彼らの場合、最低限の付加価値をつけているならまだしも、取引関係の中に割り込んで邪魔をしているだけの場合すらある。この類のお呼びでない中間管理職は多過ぎる。彼らにはどのように説明しても、「自分が仕事だと思ってやっていることが、単に意味のない作業でしかない。むしろマイナスだ」という事実が理解できない。
どんな人でも、新しいアイデアを脳味噌からひねり出したり、それをみんなに説得して実行するのは非常に苦しい。自分に自信がない人の場合は恥ずかしさの方が先に立って、自分のアイデアを人に説明することすらできないものである。「自分をさらけ出す事は、どんなことでも慎まなければならない」と考える旧日本人の間には、「美意識に反する」とか、「恥を知らぬ態度である」と言って、新しいものを創出する努力を全く認めようとしない態度すら見受けられる。
しかし新日本人はそうした外野の声にもめげずに次々と新しいことに挑戦しようとする。創造の苦しみを耐え忍ぼうとする。なぜなら、彼は「新たな価値」を自らの手で創り出そうとしているのであり、その価値の尊さを自分だけは知っているからだ。徹夜して、歯を食いしばって仕事をしてるとき、彼は今作り出されつつある新しい価値を受け取る人のことを無意識のうちに脳裏に描いているはずである。彼は世の中に新しい価値をつけ加えようとしているのだ。そのような形で社会に参加しようとしているのである。これで人類は、また小さく一歩前進することができる。その意味を知っているからこそ、苦しみに耐えることができるのだ。
劫初より造り営む殿堂に われも黄金の釘一つ打つ 与謝野晶子