新日本人の仕事観■
社会の一員として働く
「自分は仕事を通して顧客につながり、そから社会全体につながっている」という世界観を持つ
「何のために働くのか」と問われれば、第一義的には、自分のためであるのは当然である。しかし、その先に「自分は社会全体のために働いているのだ」という自覚を持つのと持たないのとでは、仕事の出来不出来に大きな差が生まれるだろう。新日本人は、「自分は組織の一員である前に、一人のプロフェッショナルであり、社会の一員である」と認識していなければならない。
そもそも「価値」は、他者との比較により初めて認識されるものであり、自己完結性がない。「誰かのために」と考えなければ、労働の価値は計りようがないのだ。「誰のため」という疑問を持てば、その疑問の終点は「世の中のため」に決まっている。仕事をする時に関わり合う相手は顧客や、所属組織の仲間であるが、しかしそこが終点ではないということだ。その相手はまた顧客や彼の属する組織の一員へと連関し、それが無限に続いて、最終的には社会全体にまで繋がっている。つまり自分の仕事の相手は、「世界全体への入り口」なのである。そう考えた時に、仕事の持つ意味は大きく広がるのではなかろうか。
新日本人の自立は、社会との共生の中にある。「個人は仕事をしている限り孤独ではない」と思えば、旧日本人のようにカイシャに寄りかかり、カイシャに縛られることでアイデンティティをやっと保つような必要がない。潰れかけのカイシャに自分の存在証明を仮託するなどナンセンス以外の何ものでもないだろう。
駆け出しの社会人であれば、一通り仕事を習得して少し遠目が利くようになった時に、「自分は仕事を通して社会につながっているのだ」としっかり自覚できれば、仕事はさらに一段と面白くなるはずである。自立した個人は、仕事を通して、ビル・ゲイツのように世界を変革することすらも不可能ではないのである。