新日本人の仕事観■
役割認識
組織のビジョンや目標を同僚と共有し、協力して職務を達成する
「全体の中の自分の役割」を認識して、組織の全体利益を第一目標に考える
新日本人は組織の中での自分の役割をちゃんと把握している。そしてその役割を誠実に果たそうとする。私益の追求に走ったり、怠惰に流れてしまっては、ビジネスマンとしての存在意義がない。仕事を達成できる人の役割認識はどうなっているのだろうか。例えばカルロス・ゴーン氏の役割認識はこのようなものである。
「人々が私を尊重してついてきてくれるのは、私なら日産を立て直すことができると信じているからだと思う」「私が難しい決断を避ければ、本来の任務を怠ることになる」「私は常に自分の任務を忘れないように、自分にこう言い聞かせている。"任務を忘れるな。任務を忘れたら仕事をする意味がない。自分の仕事に集中できなければ、何の成果も得られず、信じてくれる人々を裏切ることになるだろう"」
組織は目的を追求しているので、新日本人は「組織全体の利益を最大化させること」を第一目標として行動する。周囲に気を配りつつ、自分に与えられた役割を果たし、自分の部署の手柄にならなくても全体の利得が最大化されるならば、他の部署の仕事に積極的に協力するさ。またそうした関係を取引先にも広げ、短期的には自社の利益が少なくなったとしても信頼関係を築くことによって継続的な関係を構築し、長期的に見て利益を取るという、組織や時間の枠を超えた働き方をする。
これに対して旧日本人は、「限定された役割を果たすだけでは他人の尊敬は勝ち取れない、一人で何でもこなせなければならない」という共通一次試験的な強迫観念を持っている。ガキ大将のようなものだ。そこで自分の実力を超えて仕事の範囲を広げ、判断を失敗して取り返しがつかないないことになったりする。
また、「自分が少しでも関係した仕事の手柄や利益は独り占めしてもよい」と考えている。旧日本人は利己心の満足を行動の基準にしているわけで、そうした人間がリーダーの組織では部分最適化が非常に起こりやすい。権限が縦割りになっている役所はほぼ例外なく、また官僚機構を持つほとんどの企業でも通弊となっていることだ。新日本人はこの弊害をよく知るが故に、部分最適を避ける努力を意識的に先回りして行うのである。
出井氏の簡明な表現なら、このようになる。
「個々の最適化だけを考えていては、全体として良い結果を得ることは出来ません」「心臓だけが健康でも仕方がない。部分最適だけを積み上げていても全体のためのベストにはならないわけです」「自分は何を求められているかということを、全体とのかかわり合いという視点から捉えて業務に臨んで欲しいと思います(もちろん、個々の仕事でベストを尽くすことが大前提です)」