旧日本人の対人観■
排外主義
身内はどんな悪人でも味方、他人は徹底的に敵
身内だけが信用できる、他人には興味を持たない
旧日本人は他者と相対する時、相手と組もうとするのでなく、基本的に敵対してしまう。その反対に、自分たちの仲間は徹底的に優遇する。依怙贔屓は当然でむしろ正当なことだと考えている。
「身内は徹底的に味方、他人は徹底的に敵」という判断で、それ以上は相手に対して、人間としての興味を持たない。いかなるラポール(心の架け橋)も必要とは考えない。
こうした態度は、外国との間に一線を引く姿勢に通じていると思う。旧日本人は国内の問題ではつまらないことにも大騒ぎするくせに、外国で起こったことに対しては不干渉的冷遇を与える。ニューヨークのワールドトレードセンターにテロリストが飛行機で突っ込んだ事件では、不幸にも二〇人以上の邦人が死亡したが、身内を殺されてもそれに対する「報復」を叫ぶ声は起こらなかった。むしろ「日本は無関係、アメリカが勝手に始める戦争に巻き添えをくらうのはゴメンだ」との声が巻き上がった。外国で死ぬのは損である。国境を跨いだとたんに、どうやら「身内」から限りなく他人に近い「準身内」に格下げになるようだ。
企業でも海外駐在から帰ってきた社員は、社内で「アメリカでは」を振り回すと「出羽守」とレッテルを貼られて決定的に嫌われてしまうので、ソフトランディングに留意しなければならない。「平家、海軍、国際派」は出世できない外様という烙印である。一昔前の海外駐在員の子女は、ネイティブ風の英語の発音をしていては日本の学校で友達ができないので、わざわざ日本語風の英語の発音を日本語学校で教わって、帰国に備えたというくらいである。
身内と認定されなければ、旧日本人の社会では一生冷や飯を食うしかないようだ。