旧日本人の対人観■
仲間主義=結果平等
とにかく建前上は、仲間は同じ報酬待遇(結果平等)じゃなきゃいけない。格差をつけては和が乱れるので、できる社員から搾取し、落ちこぼれ社員を救済する
ジャック・ウェルチ氏がGEに新卒入社して一年後、彼はガムシャラに働いていたが、仲間四人と同額の昇給を通知されて激怒し、退社を宣言した。「自分(の能力・成果)は"標準"よりも高いはずだ」「大企業の最底辺でわなにはまったまま逃れられない感じがした」
もしこの時、担当役員が彼を夫婦で食事に誘い、昇給額アップを承認して彼を慰留しなければ、GEはこの逸材を失うところだったのだ。彼はこう語っている。「それ以来、人を差別化することが、私の人事管理の基本となった。優れた人材には十分に報い、無能な人材は取り除いていく。思い切った差別が本物のスターを育て、そうしたスターたちが素晴らしい仕事を生み出していくのだ」「どんな選手も勝負に貢献しなければならないが、選手全員が同じ待遇を受けなければならないわけではない」(日本経済新聞「私の履歴書」より)
さて、わが旧日本人だが、彼らは、「自分たちの組織の構成員は能力的にも、機会的にも、結果的にも、全ての面で平等だし、平等でなければならない」と思っている。これは戦後民主主義の拭いがたい弊害の一つであろう。
入社選抜を経て各々の居場所が確定されれば、そこにいるのは全員平等な「仲間」である。ムラ社会の一員として、みんな一致団結して農耕に当たり、収穫を祝い、災害を防ぎ、慶事を寿ぎ弔事に哀しむ。仲良く平等に進む以外に道はない。抜け駆けは決して許されない。それゆえに旧日本人は頑なに「実力主義」「成果主義」「待遇格差=結果不平等」を拒む。彼らにとって切実な問題は、仲間との関係を「身内の論理」で円満に保つことであって、組織のパフォーマンス向上は究極目標ではない。だから業務成果や個人の能力など一切興味の対象ではないし、むしろそこで格差をつけられるのは困ったことである。年功序列というのは、本人の努力で乗り越えられない「年齢」を差別の根拠としているから、旧日本人にも唯一納得しうる待遇差別の立派な根拠なのだ。
旧日本人の中には、上下関係に非常にナーバスな人も少なくない。年齢を確認し、同期であればタメ口、相手が上であれば敬語、下であれば呼び捨てすることにかなり神経を払うタイプである。年齢による自分の地位の確認は、彼が他人との関係(支配=従属関係)を構築するときの最初のステップであり、その儀式が終わらなければ、他者との安定した関係を作ることはできない。
また、旧日本型組織では、厳密に人事評定をする管理職は、人事の流れを歪めてしまう困った存在である。なぜならたいていの管理職は大甘評定で、ほぼ全員をA評定にしているからだ。「チームワークが何より大切なので、評定に格差をつけるなどとんでもない」と本気で考えている。
長銀の場合は、五段階評価でAが七〇%、Bが二〇%。残りがC。「昇格人事発表時には、部下が昇格できなかった上司から抗議の電話が人事部に寄せられる」「部下とはいえ、恨まれるのは嫌だ。お互い傷つけるのはよそう」という「仲良しグループ」的やさしさ、「かばい合いの風土」があったと箭内氏は書いている。これは向上心のないダメな組織の通弊と言える。ビジネスの世界では、やさしさは何の足しにもならない。
--「かわいそう」「何とかしてやれ」。長銀は人間愛に満ちた暖かい銀行であった。しかし、それが銀行の活力をそぎ、結局は行員に「かわいそう」な思いをさせることになったのである--
なんとウェルチ氏も常務時代に当時のGEの人事評定について同様の指摘をしている。
--だれも悪い知らせなど伝えたくないから、皆が部下をかばい、いい顔をして、無能な部下でも「十分、昇格・昇進の資格がある」と書くし、部下もそれに甘えている。それは事実を曲げる「親切ごかし」でしかない。そうした「偽りの親切」がのちに合理化に取り組む際の大きな障害だった--(同紙「私の履歴書」より)
こうした悪平等主義は、できる社員をさらに伸ばすことよりも、落ちこぼれを防ぐことの方を優先しているわけだが、そんなことでは落ちこぼれ社員は戦力化できないし、組織を支えるリーダーは育成できない。できる社員はとっとと辞めてしまう。青色発光ダイオードを発明した中村修二氏が会社を訴えて、にわかに注目されたが、日本企業では研究者の手柄は会社が平気で取り上げている。三菱化学は、最高額二億五〇〇〇万円の研究者に対する報奨制度を導入したが、「じゃあ今までは一体何だったんだ」という疑問が浮かんでくる。これらが明らかにしたのは、できる社員は、これまで搾取されていたという事実である。