旧 日本人のネットワーク基礎能力■
3.自分が持っている知識やノウハウ、人脈を仲間に伝えたり、共有する必要性をまったく感じない。またプレゼンテーション能力もない
日本のサラリーマンにコミュニケーション能力が欠けていることはつとに指摘されることだが、それは生得的な欠陥ではなくて、コミュニケーションの「必要性」を意識していないところに根本的な原因があるのではなかろうか。
旧日本人にとっては、コミュニケーションによって新たな情報や知識、価値観を交換・共有したり、初対面の人と信頼関係を醸成したり、新しい「知」を組織的に創造して問題を解決するということは、不必要なことなのである。なぜなら、彼にとっては「自分の属している組織が今日も明日もそこにあるから」だ。それ以上のこと(たとえば業績を向上させるとか、効率性を上げるとか、コストを引き下げるとか)は問題ではない。組織がある限り、自分の地位は安泰であり、年功によって強化されていくし、部下と意思を通わせなくても、お互いが信頼し合ってなくても、仕事を強要する強圧的な仕組みはシステムの中に整っている。旧日本型組織のルールに従っている旧日本人には、コミュニケーション能力を磨く必要などないのである。
自分が持っている仕事に役立つ情報を、味方(仲間)と共有したがらないという「情報隠匿」の傾向も、旧日本人の顕著な性向である。
「なんでもオープンにするか、それとも自分だけにしか見えない部分を一生懸命作っておこうとするか」というのは、新日本人と旧日本人を見分けるわかりやすいチェックポイントだ。自分から情報をオープンにして他人の評価に晒すことは、旧日本人にとっては考えられないことである。
顧客情報や新しい技術などの、外部から摂取した情報については、周囲と共有すればもっと良い仕事ができるし、もっと競争力を高められるはずなのに、旧日本人は情報の流通を意図的に妨害する。組織風土が外部との接触を嫌う傾向が強ければ強いほど、外部情報を持っていることは力の源泉になる。そこで組織全体の利益を考えず利己的に振る舞う旧日本人の中には、乏しい外部情報を集約して独占しようという行動傾向が出てくる。情報はなるたけ隠蔽しておけば、判断を下す正当性は「地位」しかなくなり、どんな場合でも上司の判断が通る。
また、縷述しているように、旧日本人は「自分が思ったことを表明するのはよくない」「黙っていることは美徳である」という意識を持っている。とするならば、旧日本人の中では、「文章力を磨こう」とか、「プレゼンテーション力を高めよう」などというインセンティブは働かないことになる。表現力が未熟な旧日本人にとっては、なおさら自分が見出したアイデアやチャンスを、情報を持たない相手が理解できるように説明するのは、おっくうなことになるだろう。
さらに旧日本人は「批判はよくないことだ」と思い込んでいるが、批判的態度を忘れることによって評価能力がどんどん失われてしまうことに注意が必要だ。創造意欲を持っている人は、自分のアイデアや成果物をいつも人と比較しようとするが、そうした努力を放棄すると、他人が考え出したアイデアを正当に評価できなくなってしまう。旧日本人の管理職が部下のアイデアを判断できない理由はここにある。これは組織全体の力を削いでしまう看過しがたい原因の一つといえるだろう。