新日本人のネットワーク基礎能力■
3.ビジネスを構想しプレゼンテーションする能力がある
自分でものを考える=文章を書く=相手を楽しませることができる。だから他人のアイデアを評価できる
ビジネスマンはゼニカネの計算だけができればよいというわけではない。ゼニカネを産むのは事業であり、どんな大事業も最初は個人の頭の中で構想されるものだ。まず構想力がなければ競争には勝てない。そしてこの構想力は、文芸的なセンスとも無関係ではないと思う。阪急東宝グループを作った小林一三は、事業構想力と文芸センスを兼ね備え、表現技法も持っていた。彼は事業活動が忙しくなればなるほど、書き上げる宝塚歌劇の台本の量が増えたという。
ビジネスの創造は、固定的な支配=従属関係にとらわれることなく、メンツにもこだわらず、自由に資源を組み替えることでできるのだ。自分でこうした価値を創ることができる人間だけが、創造的なアイデアについても正しく評価できる。ビジネスのアイデアと計画をきちんと評価し、リスクを取れるかどうか。ここにこそ、ビジネスマンとしての「市場価値」が存在する。これができれば、一人前のビジネスマンと言えるだろう。
ところがカイシャ天皇制下の旧日本人は、出世というプロセスを通して、だんだん自分で物事を考えなくなるし、自分で文章を書く機会が少なくなる。「そうした煩瑣な仕事は部下にどんどん降ろしていくのが、管理職たるものの務めである」と信じられており、部長になると、文章を書く量は極端に減ると言われている。
しかし文章を書くことは自分の考えをまとめることになるし、継続すればスキルを高度化できるはずだ。また自分でものを考え、プレゼンテーションを続けていなければ、部下のアイデアを正当に評価できるはずがない。「これはいい」と思えるのも、「ここを直した方がいい」と見通せるのも、自分自身のアイデアづくりの経験に依拠すればこそである。そうした評価能力がなければ、自分の判断でリスクを取れない。勢い、リスクを避けるようになるので、時代の進歩にキャッチアップできなくなってしまう。
経営者でも、自分の名前で文章を発表している人は、経営の巧拙は別にして、少なくとも「コンセプトや方法論が、現実のビジネスに強い影響を与えている」という、業務よりメタレベルにある「価値」の重要性を認識していると言えるだろう。相当に複雑な関係性でも方程式を使えば整理して考えられるように、抽象的な概念をもて遊ぶ文章力は、問題の単純化と解決方法を導き出す思考のために非常に有効なのである。旧日本人が、人の上に立ち資源分配を判断する立場にありながら、コンセプトの創造行為を放棄するということは、ボケの進行に対する抵抗の放棄に等しいのである。