旧日本人のネットワーク運営力■
4.付き合い、仁義、メンツ、従来の経路に偏重する癒着体質がある
旧日本人は自分のメンツにこだわる。これは組織依存的な姿勢や、自分に対する自信のなさの裏返しだろう。「オレの顔を潰した」「一言も挨拶がない」とすごんでいる人がよくいるが、メンツは旧日本型組織の中での「自分の序列」にかかわることである。「俺は俺だ」と思っていれば、序列など気にしないものだろうが、旧日本的な相互依存的な体系の中では、序列はなにより大切なことなのだ。
相手のメンツをないがしろにすることは対人関係を根こそぎぶち壊すことになる。それをお互いが知っているからこそ、メンツは「裏切りを防ぐことができる」消極的な信頼醸成装置である。オープンな姿勢で、誰とでも関係を結べる新日本人にとってはまったく理解できないことだが、未知の相手との接触が何より苦痛な旧日本人には、既存の関係の維持はとても重要なのだ。
義理や仁義も、旧日本人にとっては取引先との関係性維持のための最良の担保とされているが、これは属人的で、定量性のない非常に曖昧な貸借関係でしかない。本来は、取引はお互い納得ずくで一回毎に行われるべきであって、貸し借りを発生させるべきではない。その積み重ねが、本来の信用である。相手に恩義を感じるのは結構だが、それを取引ごとに精算されるべきで、そんな貸借関係があったのではお互い「自立」した取引関係はできない。
何か衝突が起きた場合でも、旧日本人は事の是非の白黒をつけたがらず、なんでも「貸し借り」に変換してその場を丸く納める道を選んでしまう。理屈を通すと、負けた方のメンツを潰してしまうからだ。
結局何でも、「泣いた」「泣いてもらった」になってしまうので、そこから相手の能力や顧客価値とはちっとも関係のない義理や仁義が発生してしまう。次回は、そろばん勘定に関係なく、「前の借りを返してもらう」取引が成立する。
そして時に、義理や仁義の不合理な側面は荒々しく牙を剥く。
担当者が替わると、なぜ義理があるのかわからなくなってしまうのだが、なぜかそうした貸借関係は累代申し送られる。まったく義理堅いことだ。そうした構造につけ込まれたのが旧第一勧業銀行だった。幹部に食い込んだ総会屋に約三〇〇億円もの不正融資を行い、この総会屋はそのカネで全大手証券会社の株を買いまくって利益供与を強要し、日本の金融界全体に大ダメージを与えるスキャンダルを起こしたのは周知の事実である。
旧日本人は自社が参加しているギルド的なつながりに対しても、「身内」として細やかな気配りを行う。この談合体制を支配する義理や仁義は、合理性を全く無視した癒着的な貸借関係であり、自信のなさと取引相手への不信を担保するための未熟な知恵でしかない。顧客に対する価値の創出にはほとんどかかわりがなく、到底近代的なビジネスに馴染むものではない。もしより安くて品質のよい商品を顧客に提供したいと望むのなら、最適な調達先を常に探す努力をすべきだし、品質については自分でチェックする必要がある。納入業者に任せきりにして、何かあったら怒鳴り込むという姿勢では、リスク管理が全くなっていない。
これらの旧日本人の癒着的志向は、彼らがネットワーク能力に欠けるが故に、代替的に発達してきたものだろう。オープンなネットワークを構築するテクニックを身につけていれば、義理、仁義を基調とした関係構築を行う必要はなくなるはずだ。