旧日本人のビジネス・マインド■
1.本心から、「自分の使命は儲けることだ」とは思ってない
組織を存続させることが前提なので、「儲からない組織は無駄だ」とは考えない
なぜ日本企業の収益は悪化しているのか。それは旧日本人は「儲けなければならない」と本気で思っていないからだ。
旧日本人は「カイシャは自分たち社員のものだ」と思っているので、「儲けなければならない」という根本的な利益動機が欠落している。無理して儲けなくとも、自分たちの給料が出ていれば問題や危機感を感じないのだ。
しかしこれは競争上、致命的な動機の欠如である。「会社は社員のもの」という認識なら、汗水かいたり、うんうん唸りながら働いて、利益を上げ株主に還元する必要など全然感じないだろう。だから、会社が儲からないのは当たり前なのである。本来のオーナーである株主の意思が株式持ち合い制度によって企業統治に影響を与えないのをいいことに、商法上は単なる使用人でしかない社員が、実質上の会社の主人として会社をいいように私物化しているのだ(この表現に少しでも反感を覚える人は、役割認識ができていない)。ここには利益動機など影も形もない。
現場から遠いところにいる者ほどそう思っている。現場から一番遠いのは本社だ。本社には、「自分の地位が安泰なら儲けなんてどうでもいいや。人にガミガミ言って嫌われるのは嫌だな」と思っている「泰平の逸民」旧日本人と、「なんとか儲けなきゃ。みんなを救うためには痛みを伴う改革をして生産性を上げるしかない」と焦っている新日本人が同居している。そして新日本人の方が数としては明らかに劣勢である。最近はトップに新日本人と目される人物が就く大企業が組織が散見されるようになった。しかしそうした組織でも、旧日本人の抵抗封じ込めは、トップがよほどのマネジメント巧者でなければむつかしい。
企業より、自立したNPOのほうが「活動を続けるためには収益が必要だ」ときちんと認識しているくらいだ。儲けられなければ自立はないのである。しかし自立の必要を露とも感じていない旧日本人には、これをどう説得しても得心させることができない。彼らは梃子でも動かせない。
旧日本人は何かの判断を迫られた時に、経済的な事情をほとんんど考慮しない、あるいは他の理由より後回しにしてしまう。
特に自分の懐が痛まない公共的な支出となると、とたんに「なんでもくれくれ」の大合唱である。「受益には負担がある」という当たり前のことを見事に忘れている。常に全体利益を考慮する新日本人はたいへん違和感を憶えることである。
旧日本人の個人の意識があまりにも社会全体と一体化しているので、公共的支出をする行政と、自分個人との距離の測り方がわからなくなっているのか。あるいは公共的支出の主体が国、県、市町村とバラバラに分かれていて実体がつかみにくいことが判断を狂わせているのか。それとも単純に全体依存的な心的傾向がなせる技なのか、原因は定かではない。
普通なら、うまい話があると「ちょっと待てよ」と二の足を踏むはずだが、もはや旧日本人は「自分の財布から直接お金を払う消費行為以外については、経済的な判断をする必要はない。それは自分が受益しても、負担はしなくて良いものだからだ」と割り切っているようですらある。これがあまりにも豊かになり過ぎた国民の持つ金銭感覚なのだろうか。
そしてこの経済感覚の鈍磨が、企業社会にも暗く大きな影を落としている。
ビジネスの帳尻は、「儲かるか儲からないか」、それだけである。「長期的に見て」とか、「雇用や環境的要素を勘案して」というつけ足しはあくまで修辞でしかない。敢えてそうした修辞に軸足を置きたい経営者は、株主利益追求を目的とする「株式会社」の看板は下ろすべきだ。株主が満足し、他の投資家を招き入れることでができるくらいの魅力的な資本効率を達成して、しかるのちに雇用維持や地域貢献、環境配慮に目配りするのであれば筋が通っているが、「環境重視」のかけ声を前に持って来て利益が出ない言い訳にし、株主をないがしろにするのは経営の怠慢でしかない。
この点を、旧日本型企業の経営者たちは混同して自分の都合の良い方向に話を持っていこうとするのが常だが、「儲かるか儲からないか」を念頭に置かなければ、利益を上げるためにあらゆる努力を払うのが経営者の本分だろう。そのために経営者は、高付加価値製品の開発、売り上げ拡大、生産性向上、効率化、コスト削減、スピードアップ、あらゆる手段を駆使しての競争優位の獲得を心がけている。しかしもしも利益追求を目的としないのであれば、実際のところ誰も仕事の効率化やコストカットなど考えたくもないだろう。
つまるところ、旧日本人は目標を持たずに仕事しているのだ。「業績を向上させ、資源をさらに集めてより強くなる」という、ビジネスマンとして当然の方向感覚すら持ち合わせない、ぶら下がり意識旧日本人は、「儲けを考えるなど、経営者の仕事であって、そのようなことを社員が喋々するなどおこがましいことだ」と思っている。そして実際のところ、誰も本気で「どうやって儲けるか」について考えていない。今の仕事が雪隠詰めになっているのがわかっているのに、新しいビジネスモデルを思い描こうとはしないのである。。結果として時間がたつほどに資源が空費されるのである。
口では「ボクは仕事のことしか考えていない、会社が人生そのものだ」と嬉しそうに言う旧日本人もいるが、彼が白状しているのは「会社での生活だけが自分の内的世界を構成している」という貧困な精神構造であって、そうした認識は実際のビジネス上の価値創出能力と連動していない。つまりたいてい、こういうことを言っている人は会社にしがみつくしか能がないので、近い将来ぶら下がり社員に落ちこぼれる可能性が高い。