旧日本人のビジネス・マインド■
6.顧客満足より、まず自社の利益と秩序維持
自分の立場さえ守れればいいので、「利益相反」という概念が理解できない
仕事の目標は、最終的には顧客にあるはずだ。
顧客を満足させるために、あらゆる手段を探り、あらゆる資源をかき集めるのだが、それ自体はプロセスの一部でしかない。決してそのプロセスを最終目的と考えて行動してしまってはならないだろう。
ところが旧日本人は、顧客の方を向いて働いているとは思えない。近視眼的な彼らの視界に入ってくるのは、自分の上司や同僚のみである。仕事の目標を「上司や同僚、仕事先との関係を円滑にするようどう調整するか」と設定してしまうと、結果的に提供される仕事は、仕様や価格の点で顧客のニーズにそぐわない商品・サービスになってしまう。
実際、そのようにして供給されている商品は数多い。「うちではこの素材が余っているから、これでできるものを作ってくれ」とか「この人員が余ったから、彼らのスキルを寄せ集めてできるサービスを何か考えてくれ」と言われたときに、「そんなことをしても顧客のニーズをくみ取ってないから売れないと思いますよ」と言い返えせなければ、それで終わりである。その結果として高い授業料を支払った末に、そのビジネスはライバル企業に駆逐されて撤退することになる。だがこれも、旧日本型企業では日常茶飯事なのである。
コーポレート・ガバナンスを学べば、本来取締役は社員の代表者ではなく、株主に選ばれ、彼らの利益を代表するものであることがわかるだろう。実際の経営を行うのは執行役員であり、取締役の仕事は彼らをチェックすることである。これは、何事につけても相互チェックを行うという、人を疑ってかかるシステムであるが、それだけに失敗が少ない仕組みである。権力を対立させて相互牽制する三権分立の概念も、同じ理屈に立っていると考えてよいだろう。
ところが「取締役は株主利益を代表している」などと自覚している取締役がどれほどいるだろうか。現実的には、取締役は社員の利益代表であり、それどころか出世レースの終点として棚上げされ、ミドルに実権を引き渡した引き替えに車と秘書と個室をもらって悠々自適で定年を待つ(役員定年すらない会社が少なくない)、事実上の楽隠居である。取締役の性格が、株主と社員の相互利益代表となっている現実には、利益相反の疑いがある。民事訴訟で弁護士が原告と被告の弁護を同時にやっているようなものだ。あるいはM&Aの代理人が売り手と買い手の代理を一緒にやっているような筋の通らない話である。
ところが、「自分さえよければ問題ない」と思っている旧日本人には、利益相反のいったいどこに問題があるのか理解できない。彼らの頭の中では、「自分たちの利益」に資することであれば、ルールや役割を飛び越えても引っかかりはないのである。彼らにとっては、自分中心で相互牽制がかからないシステムは問題と見なされない。チェックのしようがないので、彼らの中ではどんなでたらめでも罷り通ることになってしまうのだ。
公正取引に関するルールも、その社会的必要性は理解できない。「自分たちが食べるためには、公共事業の談合は正当なことだ」と思っている。その結果は、国民が将来負担すべき公的債務の増大にまるまる跳ね返っている。