旧日本人のビジネス・マインド■
9.リスク感覚がない。リスクを取ることを嫌う。リスク対処能力がないのでリスクとつきあえない
金融機関に家庭向けの投資相談について取材した時に聞いた話だが、説明のために「リスク」という言葉を口にしただけで「リスクなんて嫌っ」と拒否反応を示す女性が少なくないという。リスク=「危険」という認識なのだ。旧日本人は元本が保証されている預貯金が大好きなので、どんなに預金金利が低くなっても、株式市場に資金がうまく回らない。
しかし「リスクとは、安定した状態から変化する可能性を指す」と考えれば、コントロールすることができる。コストとリターンを比較検討したり、分散戦略を取ることも可能だ。
そもそも、ビジネスとは、「資本を元手に、リスクを取ってリターンを追求すること」と定義することができる。資本や人的資源のチャンスを奪うというリスクを取り、プラスの結果を出すことこそ、ビジネスリーダーに課せられた責務なのである。
ところが、そもそも旧日本人は「変化すること」を好まないので、リスク自体を否定したがる。少しでも危険を看取ると、一歩も近づこうとはしなくなる。君子、危うきに近づかずというわけだ。ちっとも君子ではないのだが。
となると、コストとリターンをギリギリの線まで考える戦略的思考ができない。そうしたリスク回避思考の旧日本人が会議の場に入っていれば、まともなアイデアもきれいに丸められて、さっぱり意味のないものになること必定だ。「ノーリスク、ノーリターン」が原則なのだが。
レーガン政権は、合理的期待形成学派の意見を採り入れて大規模減税を行い、財政赤字を増やしつつもアメリカ経済を浮上させ、結果的には財政赤字は縮小しつつある。非常に大きなリスクを大胆に取り成功させた実例だと思う。一方日本で行われる政策は、限定的、逐次投入的で効果が薄いものが多い。株価対策が政権課題となっているため、証券投資優遇税制が導入されたが、財務省主税局というところは一円でも税収を減らすのは嫌な体質なので、中味を見てみると「こんなことで投資をしようという人が一人でも増えるだろうか」と思わずにはいられないほどみずぼらしいものになっている。「なにかをやった」という為政者側の実感は満足させたのだろうが、効果は全く勘案されていない。
金融危機対処が好例だが、何事に関しても抜本策は採らず、対処療法、やばいところに継ぎをあてるバンドエイド作戦で事にあたる。
また、その反対に「どうにも打開策がない」という状況に追い込まれると、旧日本人は「大和魂」などの合理性に欠けた精神論を盾にして、結果を考えずにがむしゃらに突き進んでしまう。「死なば諸共」となると、リスクも何もなくなるので、全員巻き添えにして死の突進をするわけだ。どうにも私には、今日本経済はそのような死の行進をしているように思えて仕方がない。巻き添えにはなりたくないものだが……。