「守旧派」から見れば改革派は「悪人」
タコツボに入って、ちん入者をたたきつぶそうと待ちかまえているタコ社長たちには2種類います。
新しいやり方を提唱する改革者たちを積極的に妨害するのは、「日本には日本の良さがある。外国の経営手法など浅知恵だ。よけいなお世話だ」と頑固に言い張っている「守旧派」の人たちです。彼らは確信犯です。彼らは不安感にかられて、いま自分の手の中にある小さな既得権を守ろうとしますし、他にどうやって稼げばいいのかわからないので既得権を手離そうとはしません。そういう後ろ暗さはあるのですが、表面上は自分をだまして「自分が正しくてまちがっているのは改革者の方だ」という正当意識を振りかざして強がっています。
彼らは内心では知っていのるだと思います。自分たちが税金や他人の稼ぎにぶら下がっていることを。タコ足を食べて全体利益のマイナスになっていることを。そして新しい価値をつくる改革者の努力を妨害して社会全体の活力をそぎ、自分たちの将来や子供たちの世代の可能性をみずから閉ざしているということを。
それと知りながら地方でも東京でも、会社の中でも外でも、政治的に癒着し、何でも政治家と役所に頼んで公的部門から甘い汁をすすっています。そしてなによりも、自分たちがいちばん得をするポジションにいることを知っているから、彼らは現在の秩序を守ろうとするのです。
守旧派のタコ社長たちはそういう安定状態にあるので、もっと効率的な社会のあり方や合理的な取引を求める改革者の態度はひじょうに「エキセントリック」に見えるようです。改革者は、現在の安定状態を破壊して彼らの「飯の種を奪おうとする破壊者」「ルールブレーカー」「順番飛ばしをする悪人」に見えるのでしょう。守旧派の人たちは、「全員が得をするよりも自分の小さな権益を守りたい。自分にはその権利がある」と信じているようです。だから「これまでのルールを守れ」と言って改革者に敵対するのです。そして「癒着的な取引や、自由競争を否定する取引、下手をすると独占禁止法にひっかかりそうな商慣行を守っていけば、のうのうと暮らせる」と考え、それをまさに実行しているわけです。
だけどそれは実際のところは自殺行為でしかないわけです。国際競争の中で経済環境はどんどん変化していて、どんなビジネスでも放っておくとその中で時代遅れになってしまいます。今の状況を変えずにひたすら守るのは問題の先送りにしかなりません。いずれは危機に直面する日がくるのですが、そのとき天を仰いで嘆いても誰も助けてはくれないでしょう。守旧派の人たちにはどうしてもその日がイメージできないのです。だから利己的な動機で改革を否定し、恥ずかしげもなく改革を積極的に妨害するわけです。