目に見えない価値は受けいれられない
しかし、守旧派だけが抵抗勢力だとはわたしには思えません。「わたしは中立です。改革は必要だと思いますがまだ時期尚早ですよ」と言いながら、自分からは何も変えようとしない「中間派」の人たちも、改革者や新規参入者に対して消極的な妨害をしているという意味では同罪です。彼らには不作為の罪があるのです。改革者から見れば、「中間派」は動機や姿勢が違うだけで改革に対して否定的であることは守旧派と一緒なのですから。つまり守旧派と中間派の人たちは、「何も変えたくはない、とりあえずの安定を守る方がいいんだ」という点で利害が一致しているわけです。これではまったくの共犯関係といえるでしょう。
中間派の中には、「わたしたちはただひたすらまじめに働いているだけで、そんな大きな問題があるとは知らなかった」と弁解する人もいます。しかしそれは自分たちの置かれている立場への理解が足りなさすぎます。そんなに余裕のある業界はこの国にはありません。「知らなかった」では済まないところまで全員が追い詰められているのです。「問題をちっとも感じない」「問題意識を持たない」こと自体がおおいに問題なのです。
なぜ中間派の人たちは新しいものを取り入れるよりも、安定を望むのでしょうか。「仕事のやり方や取引の方法を変えることで儲けが失われることが怖いから」というのはひとつの理由でしょう。その他にも「今は忙しいからできない、やろうと思えばできるんだけど変えることが面倒くさいだけだ、やっていなかったことをやるのもおっくうだ、自分は変えようと思うんだけれど周りの人たちの間に波風を立てるのは嫌だから、みんなが改革しようと言っていない中で自分だけが変えようといってもほとんど効果はないから」、などなどなどいろいろな理由があるでしょう。でも、これらはみないいわけにしか過ぎません。
そういういいわけをしながら、中間派の人たちは何一つ新しいことをしようとはしません。投票に行かないのもなげやりな態度の一例です。確かに国会には一票の格差が厳然としてあり、守旧派のタコ議員たちは改革派の議員に比べておおむね2倍程度の票を数を持っていると考えていいかもしれません。しかしそれでもなお選挙というのは国民の意思を示す重要な行動です。結果によって、政府の姿勢は大きく変わるわけですから、投票を通じて政治に参加しないというのは、間接的に守旧派に味方をしていることに等しいのです。
政治家でも、会社の上司でも、守旧派の人たちは経済環境が悪くなればなるほど、なぜか元気になって「お上依存の景気対策や談合的な取引を維持しよう」と大きな声をあげています。彼らの勝手な振る舞いを見て見ぬ振りをしているのは、暗黙の了解をしていることになりますが、やがては被害が自分に及ぶことになるはずです。守旧派には「あなたはまちがっている」と教えてあげる必要があります。