日本人は若年層から階級分化しつつある
こう説明すると必ず「20代の若者は新日本人どころか、単なるジコチューではないのか。彼らに何か期待できるのか」と質問さます。確かにテレビを見ていると、渋谷などの盛り場で家出同然に暮らしている髪の毛の茶色い少年少女や、「一生アルバイト暮らしでもいい」と頭の悪そうな発言をするフリーターがいて、「これは世も末だ」と思われることも多いでしょう。
答えはこういうことです。20代の若者も、すでに新日本人とジコチューの2種類の人種にはっきり分かれているのです。おもしろいことに若者たちは、「働きに応じて報酬が違うのは当然のこと」と理解しています。これは「平等主義」一辺倒のそれ以前の世代には見られない意識です。これはおそらく、これまでの平等社会の幻想が崩壊して、日本社会が若年層から階級分化しつつあることを示しているのだとわたしは思います。そういう大きな社会意識の変化ではないでしょうか。
現在では大企業に就職するのはたいへん困難です。やる気のある大学生は在学中に、パソコンや会計学などのビジネスに役立つスキルを習得し、英語は当然として他の外国語習得にもチャレンジしています。そうした前向きな人間しか企業の採用試験を突破できないというのが現状です。街中の銀行の看板が次々と塗り替えられ、大手スーパーがつぶれるのを目の当たりにしてきた彼らは最初から、「一生の間一つの会社に勤められる」とは考えていません。「どんな一流会社でもつぶれるかもしれない」と思ってますから、「会社にぶら下がって生きていこう」という旧日本人的思考法を持たないのです。彼らは会社を「踏み石」と考えて自分のスキルアップを行い、「ビジネスマンとして独りで力強く生きよう」と考えています。会社の権威は彼らには通用しないのです。
つまり新入社員のほとんどが、新日本人の意識を持っていて、そうでないジコチューの人間はフリーターの世界に入っていくという構図になっています。彼らは将来的に旧日本人に合流して、社会保障で暮らそうとするでしょう。つまり旧日本人予備軍です。ゆくゆく彼らは社会のお荷物となり、新日本人vs旧日本人の対立は会社の枠をはみ出して社会問題化すると思います(なおフリーターのうち1割強は「自分の夢を追求するため」であるという調査結果もあります)。
バブル期には企業が大量採用を行いましたから、この層の人間も採用試験にうかって大企業に就職しました。しかし彼らがリストラの対象になるのはもうすぐです。これから先は、新日本人型の人材でなければ企業人になることすらできないでしょう。「若い世代の就職機会を会社にしがみついている中高年が奪っている」と指摘されていますが、皮肉なことに、これまでは「一家意識を共有する会社の仲間」を選択するために行われていた企業の採用試験が、現在では新日本人選抜試験になっており、社員の新日本人比率をどんどん増やすフィルターになっているのです。
新日本人をいかに早く増やすかが、企業が成長軌道に戻るために必要なことであると思います。