対人理解
次に右上の四角は、旧日本人が「他人をどう認識しているか」についてです。
これは非常に大切なことなのでよく覚えておいていただきたいのですが、ふつう人は「他人は自分と同じようなものの考え方をしている」となんとなく思い込んでいます。「自分と他人をはっきり区別しよう」という意識が低いのです。いくら仲間でも別々の人間なのですから、まったく違う考え方をしていてもおかしくないわけですが、なぜか「同じ仲間なんだから、だいたいなんでも自分と同じように思っているに違いない」と勝手に決めつけていませんか。そしてそれは、考え方だけでなく能力も「同じ組織にいる人間は同じような能力を持っているし、処遇についても格差をつけずに仲間うちでは同じような待遇でなければならない」と自然に考えているでしょう。そのような仲間うちでの絶対的な平等感が、ごく自然に旧日本人を支配しているのです。
また仲間うちだけでなく、立場の違う顧客や取引先ですら、自分たちの利害の延長で相手の損得を考えてしまう傾向があります。ほんとうは自分が得する場合は相手は損することが多いと思いますが。顧客の本当のニーズを相手の立場になっておもんばかるっていません。これはたいへんな問題ですよね。
しかし、差別を徹底してきらう旧日本人の組織の中でも階層秩序(上下関係)が必要です。そこで旧日本人は努力しても絶対に乗り越えられない基準にもとづいて組織秩序をつくっています。その基準とは年齢です。年齢だけはどうやっても逆転できないので、たいへん便利な基準なのです。「年功序列」ですね。
旧日本人の階層秩序の中では、自分より地位が高い人は偉いので、絶対にまちがいを犯さないし、偉い人の判断に従っていれば問題は起こらない。たとえまちがっても誰も偉い人の責任は問うてはならないという権威主義的な対人観があります。これが集団無責任主義の発生源でしょう。またそう思い込んでいる人は、何事も人任せにしていて自分で物事を考える訓練をしていないので、自分が年をとって偉くなったときに正しい判断ができないはずです。でも「まちがってもオレのほうがこの組織に長くいるのだから、若造になにか言われる筋合いはない」と信じているから始末に困るのです。
このように組織の神話にぶら下がっている旧日本人は、自分と他人の区別をはっきりつけず、相手の才能や努力の結果もまともに評価せず、何となくより集まって目的のない共同体生活を営んでいるわけです。