社会的スキル2
では旧日本人はどのように対人関係をつくっているのかというと、まず誰かと出会ったときには、最初に「相手は自分の仲間なのか敵なのか」をはっきりさせます。どっちつかず存在というのは許されなくて、敵か味方かどちらかなのです。そして「相手は敵だ」と判断すると、まったく相手との間のコミュニケーシを拒否します(戦時中に英語を敵性言語として禁止したので、野球の審判の「ストライク」を「よし!」に変えさせた話は有名ですよね)。そもそも違う世界に住む相手と連絡する方法がないので、話したくても話せないのです。
「相手は自分の仲間だ」と判断したら、その次に考えるのは「相手は自分よりも目上の存在か(年上か),それとも目下か」です。というのは、旧日本人にとっては階層秩序の上下関係というのが非常に大切だからです。上下関係がはっきりしなければ、うまく関係をつくれません。目下の人間は、目上である相手に対しては、従属しなければならないというルールがあります。それも「完全服従」「全面的受け入れ」が要求されるのです。
人が外部の未知の世界と交渉するには、お互いの間で共通するルールを認識する能力や、ねばり強い自制心、相手の強み弱みを読み取る力、うまく自分を表現する能力が必要ですが、図で明らかなように、旧日本人にはそれがない。だから結局、旧日本人は自分の属する組織の内側に向かって力を振るうしかないわけです。
他人に対して働きかけられないと、お互いがメリットを得られるパートナーシップを組めません。そもそも、日本社会ではそうした必要はなかったわけです。ピラミッド組織の中では、必要があれば自分より下位の者に命令するだけで、必要なすべての資源が手配できたからです。
組織の内側に対しては、「お前ら、わかってるんだろうな」と言うだけですべて通じます。これは「オレの言うことにすべて従うんだな」という意味です。したがって外部と積極的に交流を図る必要はありませんでした。また「お前ら、わかってるんだろうな」を受け入れる外部の人間とだけつき合っておけば、相手を支配できます。逆にどうしても利益が欲しい場合は、「お前ら、わかってるんだろうな」と言われたら、ひざを屈して「わかっています。何でも命令してください」と言えばいいわけです(何が「わかって」いるのか、よくわかりませんが)。
この支配=従属関係が、旧日本人の人間関係の基本です。ひらたく言うと、親分子分の関係ですね。強い者は、下の弱い者に対して命令権を持っており、しばしば抑圧する傾向があります。弱者は強者がどんな無理なことを言っても素直に従います。それが年功序列社会の秩序を保つための掟です。それを補強するのがメンツや義理です。メンツや義理で上下関係をギリギリ締めつけることによって関係を安定させるわけです。その関係から外れようとすると、「恩知らず」とか「裏切り者」と言われて社会的制裁の対象にすらなりますから、おそろしくて逆らえません。旧日本的な「和」とは、否応なく組織に組み込まれている人たちがほぼ強制的に従わざるをえないような性格のものなのです。
したがってこうした社会では、人の流動性は少なくて、同じ人がいつまでも同じ会社に勤めていて、ずっと同じような仕事をしているというのが普通です。本人も「オレはこの会社でこの仕事しかできない」と思い込んでいるので、転職やリストラに対する強い抵抗感があるわけです。
このように旧日本人の意識は、狭い自己認識の中に閉じこもっていて、他者に向かって開かれていません。自分の仲間をひたすら増やして、その中だけで安穏に暮らしていこうという特性はここからスタートしているのです。