日本全体を覆う巨大ピラミッド
日本の社会システムは、旧日本人の意識構造を反映して組み立てられている。
旧日本人の対人関係とは
支配=従属関係は、「なんでも自分の言うことを聞く後輩」と、「自分をかばってくれる先輩」という上下関係をつくって初めて安心できるという原始的な人間関係ですから、仲間うちでしか通用しないのは当然ですよね。旧日本人は赤の他人に対しては効果的に働きかけられないので、彼らの世界は外側に広がらずそれまでの狭い人間関係の中をぐるぐると堂々巡りするわけです。
旧日本人が外国との間でうまく立ち回ることができないのも、自分たちの論理の外ではどうやって行動したらいいのかまったく見当がつかないからだと思います。その方法を知っているのは新日本人です。だから国際競争時代のビジネスマンは新日本人にしか務まらないと考えられます。
新日本人は、他人との関係をパートナーシップだと考えています。「自分と他人はあくまでも対等の関係であり、対等の立場からお互いが欠けているものを補い合って利益を分け合おう」という考え方です。このときにお互いがいちばん気にするのは、相手がちゃんと自分の能力をフルに発揮して働いているかどうか、サボっていないかということです。お互いのよい部分を足し合わせて、一人ではできないことをやろうとするわけですから。「これ以上組んでいるメリットがなくなったな」とどちらかが判断すればパートナーシップは解消されます。そしてまた新しく組む相手を探しますから社会の流動性は高くなります。これは西洋的な流儀に近いかもしれません。
西洋では、初対面の人間とでもパートナーシップを組めるように、あいまいなメンツや義理ではなく、契約という方法を発達させました。これによって契約に合意さえすれば、お互いを信頼して力を合わせることができるのです。反対に日本では、契約を交わさない取引が少なくありませんね。
これはあくまでも、支配=従属関係とパートナーシップという2つの対人関係のあり方の説明にしか過ぎないと思われるかもしれませんが、パートナーシップには支配=従属関係よりも優れた点があります。それは新しい価値の生産性が高いということです。支配=従属関係では、立場の弱い側の人はいくら頑張って創造的な仕事をしても、その成果を支配者に取られてしまうので、本気になって自分の実力を発揮しようとはしません。「命令されたことをやっつけ仕事でやっておけばいいや」と考えがちになります。
それから支配=従属関係では取引が常に固定されていますから、新しいアイデアがあっても支配側が気に入らなければ採用されないわけで、そこで機会損失が発生してしまいます。もし自由な取引ができるのなら、アイディアを他の会社に持っていくのですが、旧日本人の社会でそんなことをしたらあっという間に睨まれてしまいます。ですから支配=従属関係というのは、機械的な大量生産の工業化社会では強みを発揮するかもしれませんが、情報化社会の中で売り物になるような新しい価値をつくるためには不適当な人間関係であるといえるでしょう。
しかし残念なことに、支配=従属関係の原則にしたがって築き上げられている旧日本人の社会は、流動性がなくて固定的で、内向きなもののなのです。そして問題は、こんな意識で仕事していて、これからの時代に果して儲けられるのかということなのです。