自分で自分の首を絞めている
この巨大ピラミッドの特徴は、内向して自己完結する中央集権システムであること。そして階層の下位の人は上位の人に収奪されているということです。
つまり下の方から上の方へ売上げとか貯金というかたちでお金が吸い上げられて中央でまとめられ、東京にいる人たちが使い方を決めてまた再配分するということです。反対に中央からお金と人がやってきて、下部組織のマネジメントを行っています(各県庁の主要な部長は、霞ヶ関から官僚が出向してきているので県は国に逆らえません。採用試験が違うのに不思議なことですね)。ピラミッドの下の方の人たちはあまりもののを考えずに、上位組織の人たちに判断を依存する傾向があります。「困ったことがあると東京に聞けばいい」と思っているのです。ですから「ぼくは誰がなんと言っても独自の工夫をするぞ」と思っている人は少なくて、ほとんどの人は「休まず遅れず働かず」になってしまいます。そして一般的には「このピラミッドの秩序を維持するのが何よりも大切だ」と考えています。
下部組織の人が、そのすぐ上の人を中抜きして上位組織に直訴する順番飛ばしは許されません。そんなことをしては秩序が乱れてしまいます。ですからここでは、営業成績を競うような同じ組織の中での競争は行われていますが、「上下の秩序を乱すような組織間での競争はタブーだ」と考えられています。そういう競争は認めないかわりに、みんな仲良くご飯を食べられるように保護政策がとられているので、みんな安心してピラミッドの中に身を置いているわけです。
これが旧日本人的な、支配=従属関係にもとづいた世界です。どんなに生産性や効率性が低くても、ピラミッドさえどんどん大きくなって下の方からお金を吸い上げることができれば、ピラミッドを支配している人たちは問題を感じません。しかしこれは何かに似ていませんか、わたしにはどうもネズミ講によく似ているような気がしてなりません。少なくとも旧日本人型社会システムというのは社会に参加している各人がみんな一生懸命になって価値をつくっているわけではなくて、他人がつくったものをその人より「上位にいるから」という理由だけで収奪している封建的な仕組みであると言ってもまちがいはないでしょう。
このシステムでは、上位の人間だけが決定を下し、下位の人間は命令に従ってさえいればいいことになります。しかし人間は誰しも自分でモノを考えられる脳味噌を持っていますし、どんな人でも他人よりも得意なものを持っています。だからそれを生かして仕事をすれば、みんなが家族を養える程度には十分な付加価値をつくれるはずなのです。各人の能力を最高に発揮させて、それを集約すれば世の中はうまくいくはずです。しかし現実にはそうはなっていないし、出口の見えない不況の中でみんなあえいでいます。それは上意下達のピラミッド社会の仕組みが、個人個人の創造力の発揮を抑圧しているからなのです。旧日本人たちはタコ足を食べながら、自分で自分の首を絞めて苦しがっているだけなのです。