株主のチェックが届かない会社の現状
ところが会社の現状は、どこか以上のような本来のあり方からはみ出しています。
まず企業同士の持ち合いなので、株主があまり厳しく経営をチェックしていません。株主総会も事実上、会社の意思決定機関としては機能しません。株主総会は経営者のやりたいことを追認する機関でしかありません。実際の総会では自社株を持った社員株主が会場の前の方に座って、「賛成!」とか「議事進行」とか大きな声で発言して会社側の意向に沿って総会をコントロールしようとするのが普通です。また証券会社の株主総会マニュアルも、いかに会社側に都合の悪い株主の発言を封じるかが最大のテーマになっています。そういうわけなので、株主が権限を振って役員の首を切ったり、決算を承認しないという事例はほとんど聞いたことはありません。事実上を株主は会社を放任しているわけです。
また株主が任命した取締役も、取締役会では仕事について形式的に決めるだけで(議決すら採らない会社が大多数でしょう)、経営のチェックなんかぜんぜんしていません。事実上、株主は業務がうまくいっているのかどうか監視できないのです。
会社側の人間は、うるさい株主は気にしなくていいわけですから、会社を社員たちの「生活共同体」と信じていて、しかも自分たちが会社の所有者であるという意識すら持っています。株主の存在は彼らの目には入っていなくて、「他人に自分たちのことについて文句を言われるなど心外だ」と思っています。だから利益を上げて株主に還元するという目的がないわけです。余剰金は社員で勝手に使っていいとすら考えています。
社員の仕事の目標は、同期の仲間たちとの間の出世競争に勝つためであって、仲間をちょっとでも出し抜ければ出世できるわけですから、あくまでも相対的な競争意識しか持っていません。たいていはよい成績を上げるよりも、勝ち組である役員に味方することで、社内での昇進の道が開けてきます。
取締役になることは、「株主に選ばれ経営を監視する」というこれまでと180度違った立場になるわけではなくて、「会社の中の昇進のプロセスに上り詰めた」ことを意味するにすぎません。そこには意識的な変化はほとんどないのです。だから取締役会は経営監視の役割を果たしていません。現実的にムリなのです。彼らにとってみれば、取締役の中にも序列があってこの先にも、ヒラ取締役、常務、専務、副社長、社長という長い階段がありますから、社員だったときと同じような競争がまだまだ続いています。ですから取締役会は、到底経営を監視するという役割は果たしていなくて、やっぱり「偉い人が言ったことは正しい」という雰囲気が支配する、みんなが顔を合わせているだけで具体的にはそこで何も決まらないおためごかしの会議にしかなっていないわけです。
そういう外部の世界から独立したピラミッドの中では社員たちは、「とにかく社内で偉くなりたい」という動機が行動を支配しています。だから仕事よりは、「社内での立場をよくすること」の方が優先順や高いわけです。自分のスキルを磨くために勉強するより、上司に気に入られる努力をした方がよいわけです。それに「給料をもらって生活さえできれば営業利益を上げる必要などない」と思っています。一生同じ会社で暮らす仲間うちでギスギスするのは嫌だから、あくまでも仲間には優しく接します。彼らにとって会社とは、「そこに行けばいつもの仲間と会える生活の場」なのです。
こういう世界では、みんな「仕事をしているふり」はしなければならないと思っていますが、「どうすれば本当によい商品ができるか、コストを減らせるか、マーケットを広げられるか、最終的な利益を出せるか」などについてギリギリまで考え努力をする必要もインセンティブもありません。