なぜアリからキリギリスになったのか?
なぜ日本企業は惨敗したのか。バブルは旧日本人をキリギリスに変えた。
なぜアリからキリギリスになったのか?
これまで見てきたように、旧日本人が備えている特質は、原始的な共同体社会の一員としての意識に根ざしたものでした。旧日本人は封建社会に非常によく馴染んでいるのです。でもそれは単純に「悪い」とか「おかしい」とか決めつけられるものでは決してありません。これまでの環境には適合していたから、発達してきた仕組みのはずなのです。そこのところを整理してみましょう。
【アリの時代】 「坂の上の雲」を見つめて
おそらく旧日本人の封建的な意識は、日本経済が戦後をたどってきた大量生産型の工業化社会にはよくマッチしていたのでしょう。スケールメリットを追求する経営戦略も、旧日本人の中央集権志向にぴったり合っていました。日本中からかき集めた預貯金は、大企業に投資されて大規模な生産設備になりました。
旧日本人のメンタリティであれば、会社が保有している大規模な生産設備の一部分として自分を殺して働けます。「なにがあっても会社はつぶれない。会社こそが自分が生きる舞台だ」という絶対的な信頼感がなければ、会社のために自分を殺せません。高度成長期を通して日本の企業は着実に成長してきましたから、旧日本人は不安を感じることなくそうすることができたわけです。
この時代、旧日本人はアリのようにひたすら働きました。会社中心、滅私奉公、上から言われたことには絶対服従の上意下達で働きつめに働いて、旧日本人と日本企業は大成功を収め、世界市場を制覇しました。
【キリギリス前期】 踊るアホウに見るアホウ
みんなそのご褒美だと思って、バブルで踊ったわけです。バブル経済の数年間の間に日本企業のコストは大幅に上昇し、行き場を失った金を銀行が過剰融資したために、日本中の山がゴルフ場やリゾートに変わりました。これらが不良債権に名前を変えるまでにそんなに時間はかかりませんでした。
それだけでなく、おそらくその間に日本人が従来持っていた全体利益に奉仕する無私の精神や、規律を重んじる姿勢などの美徳も滅び去っていったのではないかと思います。若者が人目をはばからず電車のホームでしゃがみ始めたのはこの時期です。バブルは旧日本人をキリギリスに変えたのです。「日本は世界一だ」とジュリアナでセンスを振って踊っている間に、みんなきれいに忘れてしまったのでしょう。美徳を失っただけではなく、真摯に利益を追求するビジネスマンとしての危機意識やビジネスの間も失われてしまったのではないでしょうか。その半面、自分が儲ける方法を知らないだけに、会社の権威や秩序を絶対視する態度や、「仲間をかばって自分もお目こぼししてもらおう」とする仲間主義の姿勢、「自分さえよければ社会全体のことなどどうでもいい」という利己心が強化されたのではないかと思います。