なぜアリからキリギリスになったのか?2
【キリギリス後期】 なぜ日本企業は惨敗したのか
バブルが消え去った後も、それまでに先輩たちが蓄積していた含み益でしばらくは食べていけましたし、不良債権が顕在化するまでに時間がありました。それに景気が悪くなると政府が財政出動してくれたので、旧日本人は10年間は漫然と暮らしてきたわけです。それが「失われた10年」だった。しかしいよいよ会社には切り売りできる資産がなくなったし、政府も財政出動の余地がなくなってしまって、ビジネスマンは裸で勝負をしなければならないところまで追い詰められてしまいました。いよいよキリギリスが、怠けた報いを受けるときがやってきたのです。
さらに過去10年間に、ビジネスを取り巻く環境はがらりと一変しました。80年代までの企業競争は、ひたすらスケールメリットを追求するものだったので、何でもかんでもフルラインで生産供給するのが当然でした。親企業から孫請けまでのピラミッド型の階層構造をつくって効率性で勝負するという単純な戦略は旧日本人の得意とするところです。だから日本企業は国際競争でも勝利を収めたのですが、90年以降は企業間競争の方法が変わってしまったところが大問題なのです。
90年代以降の国際競争の主役になった企業は、マイクロソフトやインテル、サンマイクロシステムズ、ルーセントテクノロジーズといった、システムや製品の中の一部分だけを供給する会社でした。それどころかソレクトロンのように生産だけを請け負うような会社すら登場してきました。どこかに特化しなければ勝てない時代なのです。このように製品やマーケットの一部分に特化した企業が、その部分だけの競争力で勝負をしかけてくるようになったので、何でもかんでも自前でそろえている戦艦大和型の日本企業は太刀打ちできなくなりました。こうした企業に対抗するためには、GEのように得意分野以外は切り捨ててしまい、得意分野を強化していくという戦略しかなかったのですが、中央集権が大好きな日本企業にとって自分の身を削ることくらい苦手なことはありませんでした。だからこの競争に出遅れたのです。「オールマイティのお山の大将がいい」という旧日本人の信仰が企業の体質転換を遅らせてしまったのです。