【市場性】
ところで、自立性から2つにわかれた合理性と社会性は、矛盾対立することがあります。例えば、もしビジネスの上で「独占的に安定した利益を取りたい」と思ったら、同業他社に声をかけて談合すれば簡単です。少数の仲間で利益を分け合って、新規参入者が入ってくれば共同してつぶしてしまえばいいわけです。しかしそれはまちがっています。なぜならば反社会的だからです。
談合や独占によってたいして値打ちのないものの値段をつり上げるのは、消費者の利益に反します。そしてゆくゆくは自分たちがつくるものの質が下がってしまうので、最後には惨めな結末を迎えることになるはずです。旧日本人的なピラミッド社会でぬくぬくと生きてきた多くの日本企業は現在すでにそういう最終局面を迎えていると思います。そう考えると、旧日本型企業は合理的でもないし、社会性も持っていないから破れ去りつつあるのだと言えるかもしれません。
新日本人にとっても、合理性と社会性をうまくコントロールしなければならないという課題があります。そのバランスをとるのが「市場」なのです。自由市場は、企業や個人と社会とをつなぐ接点にあります。企業が自由市場を尊重していれば、常に顧客のニーズにマッチした商品を顧客の望む価格で提供する能力を磨くことができます。それが儲けにつながるかどうかは、また別の経営の話ですが。
そして自立した個人にとっては自由市場はなくてはならないものです。なぜならば新日本人は、「会社にぶら下がってさえいれば、たいして働かなくとも給料がもらえる」と思って漫然と日々を過ごしている旧日本人とは違って、「自分が働いてつくり出した付加価値を正当な値段で企業に買ってもらう」という意識を持つからです。それが成果主義、能力主義の考え方です。
その自分の労働を会社に買ってもらう値段は市場価格でなければなりません。だから基本的に、どの企業に行っても同じような能力を持っている人は、同じように処遇される必要があります。「自分の労働を安く会社に買いたたかれるなら、その会社を辞めて他の会社に移ればよい」というかたちが望ましいわけです。この考え方でいくと、たいして仕事もしていないのに高い給料をもらっているミドル以上の旧日本人は、給料をもらい過ぎということになるでしょう。
このように新日本人の意識の構造は、自立性、社会性、合理性、市場性という4つの核を持っていると思います。重要なのは、これらをワンセットとして備えていなければならないということです。どれか一つしか持っていないということであれば、新日本人失格です。しかしこれらの価値は互いに連関しているので、たとえば「合理的に考えよう」という姿勢を追求し始めた人がマジメに仕事をしていけば、ごく自然にすべてを身につけられるはずなのです。自然法則に逆らわずにうまく乗っかっ