旧日本人がわかっていないこと
争点をめぐっては、「何事もできるだけ今まで通りにしておいて変えたくない」旧日本人と、「この機会になるべく合理的で効率的な仕事に改革したい」新日本人との間で駆け引きが行われるはずです。敵は人事権を持っているので、下手に動くと飛ばされてしまいます。ではどうすれば、旧日本人の動きを封じられるでしょうか。
新日本人は徹底してロジック(論理力)で闘うべきです。旧日本人経営者のようにタコツボにこもって、何も新しいことをせずひたすらリストラをするだけで利益を確保するというやり方で、この先明るい未来が待ちかまえているはずはないのですから。
彼らは理屈とか戦略性を持っていません。ただ「自分の方が肩書きが上だ」というビジネス上は何の役にも立たない固定観念を持っているだけです。しかし現在求められているのは「いかにしてライバル企業を駆逐する競争力を蓄えるか、その答えを出すこと」です。そのためには合理的な思考が必要ですし、顧客志向性がなければならないでしょう。新日本人にはこれがあるのですから、オープンな場所で、自分の考えを明快な論理を一貫させて主張すれば、必ず旧日本人に勝つことができるはずなのです。
主体的行動、プロ意識、ルール重視、競争意識、全体最適追求、パートナーシップといった、新日本人が重視している価値や姿勢は新日本人にとっては、ビジネスを行う上で必要欠くべからざるものであり、当たり前の説明するまでもないことだと考えられているでしょう。新日本人は物事を判断するときに、結果と効率性のみを考えて判断しますし、結果と効率性を考えて仕事をするためにはこのような意識を持つ必要があるのです。
しかし驚くべきことに、旧日本人はこれらの意識を持たないのです。正確に言うとこうした意識を言葉として知ってはいるのですが、それよりも右側に並べたような新日本人から見ればマイナスとしか思えない意識に行動を支配されているのです。なぜそうなってしまうのか。答えは明らかです、旧日本人は同じ会社の仲間や、固定的な取引先といった、相手と自分との「関係」を最重視して判断を行うからです。それに加えて彼らにとって重要なのは、その判断によって旧日本型ピラミッド組織における自分の地位や立場が保全されるかどうかということなのです。旧日本人にとってはビジネスの結果や効率性は二の次です。そこに旧日本人と新日本人の絶対的な差が存在します。
しかし会社のオーナは株主であり、継続的にビジネスをやるのなら顧客は最も重要な利害関係者であり、サプライヤーの利益も重視しなければよりよい条件の取引先に逃げられてしまいます。こうした社内外の利害関係者の力を最大化するためには新日本人的な価値観が必要だということは、客観的に見て誰にも文句をつけられないことでしょう。リストラですらマネジメント上の要請があれば社員は受け入れるしかないのです。
であるならば、あらゆるビジネス上の判断の際に、「だれかに影響されず自分で判断したことかどうか、より高い価値を追求しているかどうか、いちばん安上がりかどうか、そもそもの目的に反していないかどうか、本当にお客さんのためになっているかどうか、自分の都合をお客さんよりも優先していないかどうか、企業市民としての倫理にもとっていないかどうか、自由市場を尊重しているかどうか」といった観点から判断を下す必要があるのです。