客観的事実を提示し、論理で渡り合うべし
旧日本人が出してくるアイデアや行おうとする決定は、ほとんどが以上のポイントから外れた、対処療法的で本質的な解決になっていない弥縫策のはずです。それに対して新日本人は客観的な事実を提示しながら、「これはいちばん安上がりでない」とか、「これは本当にお客さんのことを考えていない、わが社の都合をお客さんに押しつけているだけではないか」と批判すればいいのです。
旧日本人は必ず「メンツをつぶされた」と言って怒るでしょう。しかしそれまでの根回しで、そうした新日本人的な価値観がすでにみんなに共有されていれば、オープンな場所で、複数の人たちの前で議論した場合には、旧日本人は新日本人の論理の前に敗退せざるをえなくなるはずです。
なぜ裁判や議会が公開されているのか、それは決定過程を多くの人のチェックや批判の目に晒することで、権力者の暴走を防ぎ公正性を保とうとする工夫です。だから旧日本人は密室とかタコツボが大好きなのです。
逆に、やってはならない負けパターンがあるとするならば、それは密室の中で一対一で旧日本人と話をつけようとしたり、あるいは実権を持つ人に直訴することで旧日本人の姿勢を変えようとすることです。「同じ仲間なのだから、きっとわかってくれるに違いない」と思った多くの新日本人ビジネスマンが、このワナに陥って自滅しています。
何度も繰り返しますが、旧日本人との間では取り引きは不可能なのです。その場では真剣な表情をして新日本人の主張に同意していても、それは表面上だけのことであって決して彼らを改心させるものではないということを、密室での説得に挑んだ新日本人は後で痛いほど思い知ることになります。
旧日本人には、新日本人の言葉や論理はまったく通じないと考えなければなりません。だからあくまでも、複数の人間に公開されている会議の場で堂々と意見を主張して旧日本人を論破する以外に道はないのです。どうしても旧日本人と密室で渡り合わなければならない場合は、客観的に判断してくれる行司役の人をその場に加えるようにするべきでしょう。旧日本人でも誠実さのある人であれば、公正なジャッジの役目を果たしてくれるかもしれません。