旧日本人の来歴を探る
旧日本人の依存意識はどう形成されたのか
「天皇制」はミドルが実質的な力を持つ洗練された統治システムだった。
旧日本人のことを敵のように書いていますが、しかしわたしも日本人のひとりです。旧日本人的なものの考え方はよく理解できます。今後どうなるかわかりませんが、少なくともこれまでは旧日本人的な意識は、すべての日本人にとってじつに自然なものだと思うのです。
共同体は日本人の心のふるさとであり離れがたいものです。だからその論理をビジネス界に持ち込みたい気持ちはムリのないことです。しかしそれこそが、現在のピンチを招いている元凶なのだとわたしは思います。日本人にとって実に悩ましい内なる問題です。
そこでこの章では、旧日本人の意識がどのように形成され、近代日本の歴史の中でどのように移り変わってきたか、われわれの魂の軌跡について振り返ってみたいと思います。
旧日本人の共同体的統治システム
旧日本人のルーツは共同体にあります。政治学者の丸山真男は、日本人の共同体観念についてこう指摘しています。
「自然の災害も人間の犯した罪も、ハライキヨメの対象と見る」
つまり日本人の意識の中では、人間と自然が分離していなくて、人の責任を厳しく問う姿勢がないのです。銀行がつぶれかけていても、銀行経営者の責任を問う声が出ないのは、「会社がつぶれるのは地震や台風のような不可抗力に等しい」とみんなが受け取っているからではないでしょうか。またこうも言っています。「倫理意識の規範は所属している共同体にある」
つまり「社会的な倫理やルールよりも、自分が所属している集団の中だけで通用している規範の方が大切だ」と考える傾向があるということです。なぜこんな考え方ができるかといいますと、共同体においてはその中の住人同士のチェックは厳しく行われますが、外部のチェックはまったくかからないような仕組みを作っているからだと思います。
また共同体の中では陰湿ないじめが行われますが、構成員の存在は認めていて、追い出そうとする圧力は低いと思います。どんな人でも「いさせてくれる」のが共同体の条件であり、それがなくなったら共同体ではなくなってしまいます。